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呉空襲の防空壕 記憶の絵図修復 市民ら 供養地蔵に奉納

和庄地区 炎上民家など描く

 広島県呉市中心部で大きな被害が出た1945年7月の呉空襲で、同市和庄地区の住民が逃げ込んだ防空壕(ごう)を描いた絵図が、市民有志によって修復された。20日、元々飾られていた和庄公園にある呉空襲の供養地蔵にあらためて奉納された。(杉原和磨)

 絵図は縦30センチ、横42センチ。供養地蔵の脇にぶら下げる形で長年飾られていた。空襲時に地区内にあった防空壕5カ所や道路、炎上する民家などが描かれている。「昭和20年7月1日」の文字もある。作者は不明だが、空襲の体験者と思われる臨場感が宿る。

 呉市出身のフリーライター丸古玲子さん(50)が、郷土の今昔を聞き書きし、2018年に出版した「呉本」の中で、この供養地蔵や絵図を紹介。歳月を経た絵図の傷みが激しいさまに言及したところ、読者の市民有志が修復と継承に乗り出した。画像をパソコンに取り込んで破れた部分をつなぎ合わせ、完成後は透明のアクリル板で覆った。

 絵図の奉納には、丸古さんや空襲体験者の中峠房江さん(83)=呉市焼山泉ケ丘、市民たち11人が参加した。丸古さんが、中峠さんの体験が基になった絵本「ふうちゃんのそら」を朗読した。

 丸古さんは「体験者の方々の記憶や思いを伝えていきたい」と語った。修復に携わった呉市川尻町小仁方の会社員加藤茂男さん(51)は「地域の歴史が分かる絵図を多くの人に見てほしい」と願っていた。

(2021年3月21日朝刊掲載)

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