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社説・コラム

天風録 『大石又七さん逝く』

 丸木位里・俊夫妻の連作「原爆の図」には炎に焼かれる人々ではなく、核に抵抗する民衆を描いた作品がある。「焼津」と「署名」。米国が太平洋で強行した水爆実験で、静岡・焼津の第五福竜丸が被災したビキニ事件を題材とする▲夫妻は立ち上がる民に希望を託したのだろう。広島・長崎に次ぐ核被害は日本中を恐怖に陥れ、原水爆禁止運動に火を付けた。一方、元乗組員の多くは偏見などにさらされ、口を閉ざす▲それでも、若い世代に核の非人道性を語り続けた元乗組員がいた。大石又七さん。きのう悲報が届いた。「教訓を封じ込めたら人間はまた同じ目に遭います」。訴えをやめない理由をかねて本紙に語っていた▲3年前、東京の第五福竜丸展示館を訪ねると病を押して学生に語る大石さんの姿があった。「人間はあまりに忘れっぽい」と悔しそうに訴えていた。福島の原発事故後も十分反省せず、目先の利益に飛びつくような社会に憤りを隠せなかったようだ▲仲間が一人また一人と世を去っていたからだろうか。船体を見つめ、こうも話していた。「自分が消えても物は残る」。あまたの証言をして著作も残した。核に抵抗し続ける民のシンボルだった。

(2021年3月22日朝刊掲載)

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