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社説・コラム

『潮流』 背中から教わる

■東広島総局長 小林正明

 卒業の思い出は人それぞれにあるだろうが、自分にとっては絵だ。はがきサイズの田舎の風景画。広島市内の県立高を卒業する日、式を終えて戻った教室で、美術教諭の担任から一人一人に渡された。クラスの47人全員が違う構図だった。

 その後、東京のワンルームでの学生生活から、社会人となり引っ越しを繰り返した独身時代まで、殺風景な部屋の壁にはいつも、この絵を飾っていた。初めてもらった作品は、記念品であると同時に恩師との関係をつなぐ1枚になった。

 担任は洋画家でもある久保田辰男さん(80)=広島市南区。一水会運営委員で、安井賞展入選やヒロシマアートグラント受賞などの経歴を持つ。今は、故郷の東広島市福富町に構えたアトリエで生活し、地元の小学校で毎年、6年生に卒業自画像の指導もしている。

 久保田さんがモチーフにしてきたのが「牛」である。キャンバスの牛は表情や質感など、素人目にどこがどうとはいえないが、ぬくもりが増しているように見える。「わしも牛歩を続けよるんよ」と笑う。

 数年前からは被爆樹木の写生にも取り組む。小学校教諭だった妻の貴美子さん(77)を連れて現場に座り込んでスケッチ。160本のうち、これまでに約40本を完成させたという。

 卒業式で絵を受け取って30年以上たつ。後になり、小品の制作は一筆や一色の扱いにこまやかな心遣いが必要だと知った。当時、47枚を仕上げるには相当な手数がかかっただろう。そして今も創作に励む恩師は、現役作家として意欲に満ちた背中を見せてくれる。

 今春も各地の小中高、大学で卒業生が巣立つ。互いの表情が見えにくい中で過ごしたこの1年、先生との関係はうまく紡げなかったかもしれない。それでも、つながりを大切にしてほしいと思う。卒業してからも教わることは多い。

(2021年3月23日朝刊掲載)

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