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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 論説委員 石丸賢 広島城の木造復元案

もっとツッコミ入れて熟議を

 広島市中心部に立つ広島城で復元計画が持ち上がっている。原爆で崩壊後にコンクリートでよみがえらせた天守閣を、元通りの木造に戻そうと市側が言いだしたのだ。

 老朽化し耐震性に難のある天守閣をどうするか。検討してきた有識者の「広島城のあり方に関する懇談会」が今月2日、木造復元の提案をまとめた。すると2週間後、松井一実市長が木造をめざすと口にする。あれよあれよの展開である。

 お城好きはさておき、大向こうから「待ってました」の声が上がるかと思えば、さほどでもない。世間の関心は今、コロナ禍対策に移っているからだろうか。ただ、せっかく市長の切った大見えである。今度は市民の側がボールを受け止め、ツッコミを入れる順番だろう。

 勘違いされては困るが、ツッコミは何も、とがめたり裁断を下したりするためのものではない。

 京阪神のタウン誌で編集長を務めた江弘毅(こう・ひろき)さんが、同じく大阪生まれの作家津村記久子さんとの共著「大阪的」(ミシマ社)に書いている。〈「ツッコミ」は「拾う」であり、その後のコミュニケーションに接続すること〉なのだと。

 相手の考えを受け止め、打ち返す。やりとりしながら自分の意見も耕し、丸く収まる点を探っていく。誠に民主的な作法だといえる。

 築城が一世一代の大仕事だった戦国時代ならいざ知らず、民主主義の世では意味合いも変わる。英断ではなく熟議が求められよう。

 今回、ツッコミどころの一つは、その趣旨である。広島市議会の予算特別委員会で市長は、こう述べた。「広島の平和文化を市民社会に根付かせ、広島城天守閣を将来世代にきちんと引き継いでいくため、天守閣の木造復元を目指す」

 持ち出された「平和文化」に唐突感が拭えない。城下町広島の歴史や城内に大本営が置かれた明治時代など、8月6日以前の被爆前史も視野に入れようというのだろうか。

 「平和文化」には従来、被爆体験に根差すヒロシマの立場が込められてきた。市長を会長とする公益財団法人広島平和文化センターが平和記念公園に置かれたのも、その証しだろう。いわく、国際世論を興すとともに、世界平和の創造に貢献しうる新しい人間性を育成する―。

 天守閣復元との結び付きは判然としない。それに木造に戻すとなぜ、市民社会に根付くのだろう。

 例の懇談会でも、そうした点を論議した跡はうかがえない。議事録には「江戸時代の文化は平和文化で…」といったくだりがあるものの断片的で、市長の趣旨説明とのつながりは読み取れない。

 懇談会は、城郭研究で知られる三浦正幸広島大名誉教授が座長を務め、リードしてきた。2基の小天守(こてんしゅ)を従えた往時の威容など、学識に裏付けられた広島城の魅力が語られ興味深い。半面、委員の間でもっとツッコミの欲しかったテーマもある。

 例えば、障害者や高齢者が出入りしやすい環境も重要な課題だったはずだ。木造による復元は、「バリアフリー法」で義務付けられる設備と両立するのだろうか。

 おととしの市民アンケートでも、木造復元は検討しない前提で「耐震改修工事のみ」か「バリアフリーやトイレの設置などの内部改装」を選んだ人が半数を超えた。「多額の費用を投じてでも、将来的な木造復元を検討する」は2割余りだった。

 市側の見積もった木造復元の経費、約86億円もどうみるか。大規模プロジェクトで近年、当初の事業費を下回ったためしを知らない。

 追い風はある。宮大工や左官職人などの技術「伝統建築工匠の技」が昨年12月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)によって無形文化遺産の登録を受けた。今回の天守閣復元も地場職人の育成に生かせば、投資としての意味合いが出てくる。県産材の限定調達も手だろう。

 ちまたのツッコミを拾い、市民との対話を深めていく。そんな姿勢だって、立派な平和文化である。

(2021年3月25日朝刊掲載)

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