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盆灯籠の裏方 30年かけ追う 広島の青原さん 記録映画制作 

安芸門徒 根底に原爆の惨禍

 広島県北広島町大朝の記録映像作家青原さとしさん(59)=写真=が、市井の安芸門徒の世界を30年がかりで追った映画「あさがお灯籠」を完成させた。色彩豊かな盆灯籠はなぜ、浄土真宗が根付いた地方の中でも広島県安芸地方に固有の民俗文化なのか―。長年の問題意識が根底にある作品で、原爆の惨禍がもたらした人々の心情にも迫っている。(特別論説委員・佐田尾信作)

 盆灯籠は竹の棒先を六つに割り、広げた部分に色紙を貼る。一説には、江戸後期に広島城下の紙商人が、まな娘の死を悼んで立てたのが始まりとされる。広島を中心に広がり、原爆の惨禍を乗り越えて戦後も続いたが、華美になると風向きが変わった。昭和40年代には火災の恐れや後始末の問題が取り沙汰されて「自粛」の動きも出たという。

 こうした歴史は庄原市生まれの民俗学者神田三亀男さんがまとめており、現代の盆灯籠については賛否両論を引いて論考を結んでいる。青原さんは生前の神田さんから世論が分かる新聞記事などを含む資料を借り受け、今回の映画のベースとして生かした。

 映画は30年がかりで盆灯籠の裏方を追う。真宗寺院が軒を連ねる広島市中区寺町では、かつて生花店や仏教婦人会が自前で製作していた。

 その一人、「ピカのすぐは(直後は)ここの寺町もなかったよ(全焼したよ)」と思い出す山崎好江さん。紙や竹にこだわっていた。亡くなるまで取材を重ね「お寺も変わった。こうにきれいにゃあなかった」というつぶやきを拾う。半紙を巻いただけの白い盆灯籠が飛ぶように売れた時代もあれば、売れずに残った竹がちくわの芯に使われた時代もあったと懐かしんだ。

 呉市阿賀北の沖田稔さんは自分の山から竹を切り出し、盆灯籠を作る職人。被爆直後の広島では紙が乏しく、白い盆灯籠しかなかったという。その記憶を頼りに作り始め、初盆の家に無償で提供した。広島はもちろん空襲に遭った呉にも白い盆灯籠が立った。「やっぱり、生きとる者が供養せんにゃあ、と思いましてね」と語り、作り手としての初心を知ることができる。

 真宗では墓参は先祖供養のためではないとされてきた。盆灯籠も魂の迎え火や送り火とは捉えない。一方で青原さんは「田舎では墓地の下草を刈って田に入れる。墓参は単に血脈としての先祖の供養ではなく、大いなる命の循環を尊ぶ伝統だと考えてもいいのではないですか」と問う。

 青原さんは寺町に近い十日市町の真光寺に生まれ、現在は大朝にある教信坊の住職を継承。真光寺住職で被爆者だった父淳信さんを主人公に、2003年に映画「土徳―焼跡地(やけあとち)に生かされて」を発表した。「あさがお灯籠」もまた自らのよって立つ世界の記録であり、「どしたん、はあ、お嫁さんもらったん?」と逆取材されるシーンなどに「撮る・撮られる」関係を超えた手法の面白さもある。

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 「あさがお灯籠」は自主制作、1時間2分。全国規模の上映運動を計画している。

(2021年3月27日朝刊掲載)

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