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子や孫へ 継承に生かして 故松重さんのネガ 広島市重文に 遺族 保存環境向上に期待

 広島市教委が26日、市の重要有形文化財に指定した被爆当日の市民の姿を収めた5枚の写真のネガフィルム。撮影した元中国新聞社カメラマンの故松重美人さんの遺族は、保存環境が一層確かなものとなり、被爆の惨禍を未来へ伝えるための活用がさらに進むことを願っている。(水川恭輔)

 「あらためて貴重な写真だと実感しました。記憶のない私にも、原爆の爆風がどれほどすさまじかったか、伯父さんのおかげで分かるんです」。おいで理容師の大屋基起さん(79)=南区=は文化財指定の知らせにしみじみと語った。松重さんが被爆当日に写した翠町(現南区西翠町)の理髪店を受け継いでいる。当時、松重さんの自宅を兼ねていた。

 店を営んでいたのは、松重さんの妹で大屋さんの母の故久代さんたち。爆心地の南東約2・7キロだった。松重さんは、窓枠も吹き飛んだ店内や店の窓向こうに消防署の出張所が倒壊しているカットを写した。3歳だった大屋さんは2日後に疎開先から戻って入市被爆したが、記憶はないという。

 被爆した店の建物は現在も残り、いすの並びなどもほぼ同じだ。大屋さんは、来店者に写真を見せて被爆当時の状況を伝えたこともある。「子どもや孫にも、あらためて写真を見てもらいたい」と話す。

 「光栄なことです。生前の父の気持ちや証言活動も報われると思います」。松重さんの長女の井下加代さん(77)=三次市=も、保存やさらなる活用への弾みになることを期待する。

 松重さんは中国新聞社を定年退職後、腎臓を患いながら90歳ごろまで証言活動を重ねた。80代半ばからは病院で人工透析をした後、会場に向かうことも多かった。「『無理しないで』と反対しても、父は『寝込んでも思い残すことはない』と言って…」。写真を見せながらの証言を務めとして続ける父の姿に、胸が締め付けられたという。

 井下さんは、負傷者を前方からでなく後ろから捉えた御幸橋の写真に、やさしい人柄だった父の葛藤も感じ取る。「悲惨な姿にシャッターを切るのをためらったと思います。それでも仕事の使命として撮った写真を、若い人への継承に生かしてほしい」と話している。

(2021年3月27日朝刊掲載)

被爆当日ネガ 市重文に 元本社カメラマン松重美人さん撮影の5点 広島市教委、初指定

1945年8月6日 松重美人さんのネガフィルム5点 広島市文化財指定 人間の惨禍を記録

あの日5枚の「証人」 松重美人さん撮影ネガ <上> 唯一の記録

あの日5枚の「証人」 松重美人さん撮影ネガ <中> 劣化の危機

あの日5枚の「証人」 松重美人さん撮影ネガ <下> 生きている資料

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