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社説・コラム

『この人』 広島市民病院長に就いた 秀道広(ひで・みちひろ)さん(63)

 皮膚アレルギーのスペシャリストだ。診療の傍ら、じんましんの発生メカニズム解明、治療法の開発などに力を注いできた。大切にしてきたのは「現場の感覚」。副学長まで務めた母校・広島大を離れ、広島市民病院(中区)のトップに就いても、それを変えるつもりはない。

 岡山大出身者が歴任してきた院長を、広島大出身者が担うのは初めてだ。「患者がより高度な医療を受けられるよう、地元の広島大との連携を強化したい」。橋渡しになれる、との自負がのぞく。

 経営手腕も問われることになる。市民病院のような総合病院は、緊急度が高い人や難しい患者を診るのが役割だ。症状が落ち着けば地域の病院にスムーズにバトンタッチすることが必要になる。「医療人材に限りがある以上、そういう病院間連携をもっと進めないと」と背筋を伸ばす。

 市民病院は、自らが生まれた場所としても愛着があるという。地質学者で広島大教授だった亡き父敬(けい)さんは、学生時代に被爆直後の広島の岩石標本を残したことで知られる。その探究心を継いだらしい。子どもの頃から、調べたり考えたりするのが大好きだった。一時は理工系の学者に憧れた。

 「研究だけでなく、人との関わりを深めたい」と選んだ医師の道。院長になっても、診療は一定に続けたいという。「現場を知らないと、私も若い医師たちに発信ができませんから」

 好きな言葉は「偶然を必然化する力」。「偶然の出来事を生かせるかどうかは自分次第。院長になったのも、後に『必然だった』と言えるようにしたいですね」とほほ笑んだ。南区で妻と1男1女の4人で暮らす。(田中美千子)

(2021年4月6日朝刊掲載)

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