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岡田恵美子さん死去 被爆体験 若者と世界に発信 84歳

 被爆地広島から核兵器廃絶を訴え続けた被爆者の岡田恵美子(おかだ・えみこ)さんが10日午後3時52分、大動脈解離のため広島市南区の病院で死去した。84歳。広島市東区出身。自宅は非公表。葬儀は親族のみで営む。喪主は夫隆(たかし)さん。

 8歳の時、爆心地から2・8キロの自宅で被爆した。県立広島第一高等女学校(現皆実高)1年だった4歳上の姉は、建物疎開作業に動員され行方不明となり、遺骨も見つからなかった。

 1987年、広島から世界に平和を発信するワールド・フレンドシップ・センター(西区)と出合い、渡米して被爆体験を語ったのを機に、平和運動へ関わり始めた。99年からは原爆資料館(中区)でヒロシマピースボランティアを務め、同館では積極的に修学旅行生たちに体験を証言した。

 2005年には、被爆者や若者たちが核兵器保有国などに出向いて原爆被害や平和と和解のメッセージを伝える「広島世界平和ミッション」に参加し、インドやパキスタンを訪れた。全米原爆展や米ニューヨークの国連本部でも原爆の実態を伝えたほか、全ての国に核兵器禁止条約への参加を呼び掛ける「ヒバクシャ国際署名」にも力を注いだ。

明るく積極的/いつも本気 被爆地 悲しみ広がる

 被爆体験を証言してきた岡田恵美子さん(84)=広島市東区=が10日死去した。突然の訃報に、核なき世界を共に訴えてきた被爆者たちに悲しみが広がった。

 NPO法人ワールド・フレンドシップ・センター(西区)の理事を務める岡田さんは、会合中に倒れたという。会合にインターネットを通じて参加していたセンターの名誉理事長で被爆者の森下弘さん(90)=佐伯区=は「とても明るく積極的に行動する人だった。あまりにも突然で、言葉が出ない」と肩を落とした。

 「いつも本気で行動する方だった」。岡田さんの半生をつづる写真冊子を編んだNPO法人ANT―Hiroshima(中区)の渡部朋子理事長(67)は悲しんだ。広島の平和発信を強めるため、国連機関の広島誘致を目指し、最期まで奔走していたと振り返った。

 岡田さんの証言を基に、被爆者の思いなどを歌にした安佐南区出身のシンガー・ソングライターのHIPPY(ヒッピー)さん(40)は「血のつながったおばあちゃんのような存在で、もう会えないのが信じられない」と言葉を詰まらせた。

 20年余りの平和活動を通じて親交があった清水恵子さん(77)=東区=は「真摯(しんし)な方で次世代に被爆の実態を伝えようとの思いがとても強かった。まだまだ活動を続けていかれると思っていたのに。大きな先輩を失った」と惜しんだ。(明知隼二、山本祐司、小林可奈)

(2021年4月11日朝刊掲載)

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