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「がんす横丁」挿絵 再評価 広島で原画展 郷土の近代史刻む

時代の変遷、消えた街の風情今に

 戦前の広島の風景をつづった随筆「がんす横丁」シリーズで、広島市出身の画家・福井芳郎(1912~74年)が描いた挿絵が再評価されている。時代の移り変わりや、原爆投下により消えた街の風情を生き生きとよみがえらせており、史料的価値も高いという。市郷土資料館(南区)が「福井芳郎とがんす横丁の世界」展で原画を展示している。(桑島美帆)

 空中ブランコやオットセイの曲芸にくぎ付けになる着物姿の子どもたち。15(大正4)年ごろから、現在の福屋八丁堀本店(中区)向かいの広場で、正月などに登場したサーカス団「有田洋行」の公演を描いた一枚だ。

 旧中島地区のカフェや活動写真館のほか、12年に路面電車が開通し、にぎやかになった胡町周辺の商店や芝居小屋、中の棚魚市場―。挿絵は主に大正期から昭和初期までの街角を題材とし、繁華街の活気や、のどかな暮らしが垣間見える。

 一帯は原爆で壊滅し、戦後の再開発で面影は残っておらず、消えた町名も多い。路地や交番、銭湯など、日常に溶け込んだ何げないカットも複数ある。「がんす横丁」シリーズの書籍版に福井自身が記したあとがきによると、福井は被爆後の広島の街を歩き、「何一つ資料なしで」「幼年期、少年期、青年期の記憶をたどって」仕上げた。

 12年に的場町で生まれた福井は大阪美術学校を卒業後、帰郷。45年8月6日に被爆し、戦後は、原爆の惨状を克明に描いた作品を数多く手掛けた。「がんす横丁」シリーズは、NHK広島放送局でアナウンサーなどを務めた故薄田太郎氏が、49年に「夢の盛り場」として「夕刊ひろしま」に連載を始め、61年まで中国新聞に掲載された。2人は喫茶店で情報交換をしながら構想を練ったという。

 市郷土資料館の展覧会を企画した本田美和子学芸員は「被爆で失われた郷土への愛着が挿絵にも反映されている。写真が残っていない絵も多く、広島の近代史を知る上で貴重な史料」と説明する。館内では、福井と親交のあった長崎孝医師(03年に79歳で死去)が、91年に市公文書館に寄贈した原画132点の一部を展示中だ(5月5日まで)。

 「正確さに欠ける面はあるが、あの時代に生きた人ならではの空気感や雰囲気が伝わってくる」と本田学芸員。福井は晩年、書籍版のあとがきに「若い人々には真の広島、広島人の心意気、城下町だったころを知るにはよい参考になるものと思うています」と書き残している。

(2021年4月13日朝刊掲載)

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