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『核兵器はなくせる』 NPT準備委 きょう開幕

■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長 江種則貴

 2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けた第3回準備委員会が4日午前(日本時間同日深夜)、米ニューヨークの国連本部で開幕する。5年に1度の再検討会議は折々の世界情勢を反映し、核軍縮や不拡散の行方を左右してきた。核兵器廃絶への「追い風」が吹くいま、被爆地は来年の再検討会議と今回の準備委に熱い視線を注ぐ。課題と展望を探る。

不平等性

 1970年に発効したNPTは現在、加盟国が約190カ国に膨らむ一方、「不平等条約だ」との批判も絶えず浴びてきた。

 核兵器国を米国、ロシア、英国、フランス、中国の5カ国に限定。5カ国以外は国際原子力機関(IAEA)の査察を受けるなどの条件で原子力の平和利用は保証されるものの、核兵器を開発すれば国際的な制裁措置が待ち構える。一方で条約は核兵器国に軍縮努力を義務付けるが、拘束力はない。核軍縮は結局、保有国の自主的な削減か、米ロなどの二国間条約に委ねられてきた。

 一方、こうした不平等性は5カ国以外が核開発する際の言い訳にも使われる。核実験したインドやパキスタン、事実上の核保有国イスラエルはそもそも条約に加盟していない。さらに北朝鮮はNPTからの脱退を宣言し、核実験を強行した。条約はその名とは裏腹に、核拡散を防ぐ効力にも疑問符が付いてきた。

 それでも1995年の再検討会議でNPTの無期限延長が決まった。不平等性は指摘されつつも、核軍縮や拡散防止のために、NPTに取って代わる国際的な枠組みがほかに存在しないことが背景にあった。

明確な約束

 核兵器の完全廃絶に向けた「明確な約束」をする-。5年に1度の再検討会議で画期的な成果を挙げたとされるのが2000年。参加国は全会一致で核兵器廃絶を誓い、最終文書に13項目の行動計画を盛り込んだ。

 しかし翌2001年、米中枢同時テロが世界情勢を一変させる。当時のブッシュ米大統領はイラク戦争を強行。だが、強国の圧倒的な軍事力が真の平和をもたらすわけでもなく、テロの完全な封じ込めにも無力だったことは明らか。いま世界は、核テロの恐怖におびえる。2005年の再検討会議は、実質合意を何ら得ることができないままに終わった。

 この間、米ロの戦略攻撃兵器削減条約(モスクワ条約)調印などはあったものの、北朝鮮の核実験、イランの核開発疑惑と、核軍縮や不拡散とは真反対の事態が続いてきた。

 こうして2000年の再検討会議がうたった13項目もほとんど実現せず、2005年の失敗を経て、NPTにとっては「空白の10年」が過ぎようとしている。それが最近までの国際情勢の現実だった。

変革への期待

 核軍縮・不拡散を求める加盟国や市民たちに失望や焦燥感が広がるなかで、核超大国の姿勢を変えるとの期待に包まれて誕生したのがオバマ米政権だった。4月、チェコ・プラハで演説したオバマ氏は広島、長崎に原爆を投下した「道義的責任」に触れ、「核兵器のない世界」に向けた行動を誓った。

 米国では2007年、キッシンジャー元国務長官ら4人が核兵器廃絶を目標に据える連名の寄稿を米紙に掲載。オーストラリアと被爆国日本政府の肝いりで昨年、各国の有識者による核不拡散・核軍縮に関する国際委員会(ICNND)の論議もスタートした。

 こうした情勢変化により来年の再検討会議への期待が高まる。今回の準備委員会もその「地ならし」の役割が求められている。

 2000年の再検討会議を成功に導いたのは、非核保有国の不満を結集して核保有国側にぶつけたエジプトやメキシコなど「新アジェンダ連合」と呼ばれた国家群の奮闘が大きかった。来年の会議のリード役をどこが担うのか、準備委の論議の流れで占うこともできそうだ。

 平和市長会議(会長・秋葉忠利広島市長)も来年の再検討会議を「核兵器廃絶に向けた大きなヤマ場」と位置付け、今回の準備委に各国から約50の加盟都市が結集。被爆地からは秋葉市長と田上富久長崎市長が参加する。

 両市長は会議2日目の5日にある「NGOセッション」でスピーチする。秋葉市長は平和市長会議の会長として2020年までの核兵器廃絶を目指す「2020ビジョン」をアピール。その手順を定めた「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を来年の再検討会議で採択するよう強く訴える予定だ。

 両被爆地からは合わせて7人の被爆者が同行する。日本被団協の田中熙巳事務局長もニューヨーク入りし、国際政治を動かす各国代表らに核兵器廃絶に向けた真剣な取り組みを働きかける。

<2000年の再検討会議で合意した13項目>

①包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効
②核実験のモラトリアム
③兵器用核分裂物質生産禁止条約(カットオフ条約=FMCT)の即時交渉開始
④ジュネーブ軍縮会議に核軍縮を扱う補助機関の即時設置
⑤核兵器などの軍備管理・削減に「不可逆性の原則」を適用
⑥核兵器全面廃絶への明確な約束
⑦戦略核兵器削減条約プロセスの促進、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約の維持・強化
⑧国際原子力機関(IAEA)、米国、ロシアの三者協定の妥結・実施
⑨核兵器国の核軍縮措置(一方的核削減へのさらなる努力、非戦略核の削減など)
⑩余剰核分裂性物質の国際管理と処分
⑪究極的目標としての全面かつ完全軍縮
⑫核軍縮努力義務についての定期報告
⑬核軍縮のための検証能力の向上

核拡散防止条約(NPT)再検討会議準備委員会
 5年ごとの再検討会議の合間に計3回開かれる。今回は4日から15日まで国連本部で。条約加盟国の代表が討議し、再検討会議への「勧告」を含む合意形成が目的。ジンバブエのチジャウシク大使が準備委議長を務める。


広島から孫と参加する被爆者 岡田恵美子さん(72)
「次世代のため」証言へ

■記者 東海右佐衛門直柄

 海外で被爆体験を証言してきた広島市東区の岡田恵美子さんが、孫の中山小6年、富永幸葵(ゆうき)さん(11)と初めて一緒に米国に渡る。4日からのNPT再検討会議の準備委員会で、核兵器廃絶を願い行動する自身の姿を胸に刻んでもらうために。

 準備の合間の4月23日。岡田さんは幸葵さんと中区の平和記念公園を歩いた。「水が欲しいと言いながら、ここでたくさんの人が亡くなったの」。真剣な祖母の表情に、孫は「核兵器は誰も幸せにしないと世界中の人が気付いてほしい」と答えた。

 岡田さんは8歳の時に爆心地から2.8キロの自宅の庭先で被爆。戦後は再生不良性貧血に苦しんだ。4歳年上の姉は遺骨も見つからず、両親は戦後10年ほどで相次いで死亡。人生を一変させた被爆の体験は胸の奥にしまっておくつもりだった。

 しかし50歳でワールド・フレンドシップ・センター(西区)の創設者、故バーバラ・レイノルズさんと出会ったのが転機に。「被爆者のあなたが行動すれば世界は変わるかもしれない」との言葉に力をもらい、平和使節として米国を訪問したほか、ドイツ、インド、パキスタン、ポーランド、ウクライナでも体験を証言した。

 NPT再検討会議の準備委員会には広島から、岡田さんを含め被爆者4人が参加する。岡田さんは9日まで滞在し、準備委や平和市長会議の会合を傍聴。国際的な非政府組織(NGO)の会合で被爆体験を語る。

 「体力が衰え、来年はどうなっているか分からない。だからこそ、力を振り絞って核兵器廃絶を訴えたい」と岡田さん。原爆投下国で奮闘する姿を幸葵さんが見守る。

(2009年5月4日朝刊掲載)

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