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[築城400年へ 福山城] 天守鉄板張り 一部発見 歴史解明 どこまで

幅広い資料必要 市、情報提供呼び掛け

 1945年の福山空襲で焼失した福山城天守(福山市丸之内)の北側壁に施されていた鉄板張りの一部とみられる鉄板2枚が市内の民家で見つかり、歴史的な背景がどこまで明らかになるか注目される。全国で唯一とされる鉄板張りの経緯や詳しい時期など不明な点は多い。科学分析への期待が高まる一方、市などは解明には幅広い資料が必要として情報提供を広く呼び掛けている。(門戸隆彦)

 市などはこれまで鉄板張りを写真でしか確認できていなかった。明治期以降に撮影された写真からは壁にほぼ隙間なく鉄板を張った状況が見て取れる。市などは厚さ2~3ミリ程度、幅は10センチ前後で全長は場所により異なるとみていた。今回発見された鉄板2枚はいずれも写真の鉄板と寸法や仕様が似ているという。

 一方、市によると、鉄板が張られた具体的な年代や経緯を示す資料は見つかっていない。1698年に水野家が断絶し、城の受け取り役として福山を訪れた岡山藩士の記録に「天守北側は鉄に包まれ、(東西南の)三方は白土が見える」という趣旨の記述が残る。だが、築城した22年から水野家5代のいつ鉄板が張られたかは不明だ。

 市の外郭団体が運営する福山城博物館は、ちょうつがいなど空襲後に回収された天守の他の鉄資料を保管する。市は鉄板の科学分析などを今後予定し、同博物館の皿海弘樹学芸員(35)は「鉄の成分などを比べれば鉄の産地や精製時期が見えてくるかもしれない」と期待する。

 鉄板を張ったのは、天守を砲撃から守るためだったとされている。天守北側は堀がなく守りが手薄なことが理由だが、文献では確認されていない。

 市は来年の築城400年に向けた天守の大規模改修に合わせ、鉄板張りの再現を予定する。文化振興課は「鉄板張りの歴史は未解明の部分が多い。唯一無二の特徴をアピールするためにも空白を埋めたい」とし、関連資料を持つ市民への協力を求めている。同課☎084(928)1278。

(2021年4月16日朝刊掲載)

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