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社説・コラム

天風録 『ある老気象学者の憤り』

 今村明恒という地震学者がいた。昭和三陸大津波の惨状を見た彼は、南海地震を予知すべく私財を投じる。だが戦時下には地震計の用紙まで底をつく。当時の記録は「煤(すす)書き」式。煤を払って紙を使い回した▲海辺の観測は軍部に邪魔者扱いされ、食うため畑を開くとラジオ局が取材に来る。「ついにカボチャの話しかできなくなったか」と今村博士。放送は敗戦の5日前だった。「津波てんでんこ」の言葉を広めた山下文男さんの「隠された大震災」から▲元気象庁の増田善信さんも戦時下の「冬」を知る人だ。観測所にいたが、荒天でも漁師には教えるな―と命じられる。軍部は予報で救える命より機密を重んじた▲おととい97歳の増田さんは自ら集めた6万人余りの署名を突きつけ、政府に異を唱えた。戦後、戦争のための科学を放棄すると宣言した日本学術会議への政治介入を、老学者が憂えたのは当然だろう。フェイスブックなど駆使するとは意外だったが▲76年前の晩夏、電灯の黒い布が外され、ラジオと新聞に天気予報が復活すると、誰もが「冬」の終わりを実感した。増田さんも「天気予報は平和のシンボル」と言う。署名とともに重みを持つ至言である。

(2021年4月21日朝刊掲載)

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