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遺品 無言の証人

[無言の証人] 二中1年生の弁当箱

かばんに名前 遺骨は戻らず

 熱線と爆風にさらされた、手つかずのお弁当。持ち主は広島二中(現観音高)1年で、当時13歳の昆野(ひの)直文さん。現在の平和記念公園南側一帯の建物疎開作業中に被爆したとみられる。

 進学を機に故郷の倉橋島(呉市)を離れ、二中の寮から通学していた。あの日、昆野さんを含む1年生約320人は爆心地から約600メートルで作業に当たっていた。ほとんどが即死し、後に全員が亡くなった。

 原爆が落とされた翌日、父親の直人さんと姉の勝美さんは島から漁船で広島市内へ。近くの本川の土手で、母のマス子さんが着物の帯をほどき、手拭いと縫い合わせたかばんを見つけた。内側に墨で名前が書かれている。風呂敷に包まれ、中身が残ったままの弁当箱が入っていた。

 二中の生徒たちは、大やけどで家にたどり着き、あるいは救護所で軍歌を口ずさみ、息絶えたという。だが多くは遺体も見つかっていない。昆野さんの消息は不明のままだ。

 かばんは、自宅の仏壇の中に置かれていた。姉の勝美さんは1999年に本紙取材に語った。「悲しみに暮れる両親の前では、決して取り出すことはありませんでした」(新山京子)

(2021年4月26日朝刊掲載)

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