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ハワイ移民 愛郷の証し 周防大島 宮本常一記念館で特別展

寄進・送金 島の暮らし支える

 山口県周防大島町の宮本常一記念館で特別展「周防大島とハワイ―移民たちの足跡」が開かれている。出稼ぎや移住をいとわない庶民の足跡を追うことは、この島に生まれた民俗学者宮本常一のライフワークだった。移民たちからの寄進の証しである石造物や絵馬、送金の証しである帳簿など、写真や展示物の一つ一つに先人のエネルギーと愛郷心がにじみ出ている。(特別論説委員・佐田尾信作)

 宮本は絶筆となった「東和町誌」(1982年)で「明治以降の出稼ぎ」に100ページ近く割いた。江戸後期のサツマイモの普及や塩田跡地への集落の広がりなどから人口が急増し、漁民や大工などの出稼ぎを促したという。明治になると、ハワイへの農業移民がそこに加わった。宮本は「単にまずしさのみが出稼ぎをよびおこしたものではなかった」と記している。

 当時のハワイ王国と明治政府が取り決めた「官約移民」は1885(明治18)年に始まり、計10回で3913人が周防大島から渡航した。これは全国の1割強、移民県である山口県の中でも3分の1を占める。1930(昭和5)年にハワイにいた島の出身者は6千人に上っている。

各界に成功者

 今回の特別展では第1回官約移民で渡航した川﨑喜代蔵(川﨑旅館創業者)、魚の行商から身を起こした北川磯次郎(スイサン創業者)ら9人の各界人をパネルで解説している。島出身者の裾野の広さが、こうした成功者を生み出したのではないか。ハワイ移民はサトウキビ労働者のイメージが強いが、町に移った後の暮らしぶり、ハワイの多民族社会で重みを増していく流れも知る必要があろう。

 かつての移民たちは競うように郷里の神社に玉垣、石灯籠、絵馬などを寄進した。特別展では九つの神社で移民からの寄進があったことを紹介している。周防大島から四国に渡った「長州大工」の流れをくむ彫刻師の作が、ハワイ移民によって寄付された例もある。寄付の帳簿を大切に保管している神社もある。

 移民からの送金為替を記録した明治の終わりの帳簿類も公開されている。町内の元油田郵便局長大沼伸彦が協力した。「東和町誌」によると、周防大島の属島・沖家室島では送金が島民の暮らしを支えただけではなく、小学校や地蔵堂などの整備にも寄与したという。学校へピアノが寄付された例も少なくない。

戦中は苦難も

 一方、第2次大戦では日系は米本土への強制収容や2世の激戦地への動員を強いられた。1889(明治22)年に旧屋代村に生まれた新谷一郎はハワイからニューメキシコ州のサンタフェ収容所に送られたが、当時の支給品の水筒や身分証明などが今回公開されている。大戦後の日系人の地位の向上が、こうした苦難や犠牲の上に成り立っていることは言うまでもない。(敬称略)

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 特別展「周防大島とハワイ」は国立歴史民俗博物館、国立国語研究所との共催。ハワイタイムスフォトアーカイブス財団など協力。5月9日まで(6日は休館)。入場無料。

(2021年4月29日朝刊掲載)

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