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[2021ひろしまFF] 核廃絶とコロナ収束 胸に 世界平和祈り点火 「生ましめんかな」モデルの被爆者小嶋和子さん

 あの日から2日後の広島で産声を上げた。負傷者ひしめく暗い地下室で。栗原貞子の詩「生ましめんかな」のモデルとなった広島市南区の被爆者小嶋和子さん(75)が3日、2021ひろしまフラワーフェスティバル(FF)の「花の塔」の点火役として登壇した。核兵器廃絶と新型コロナウイルスの収束、亡き姉への思いを胸に「世界が平和になって」と祈りをささげた。(城戸昭夫)

 午前10時すぎ。平和記念公園(中区)の「平和の灯(ともしび)」で採火されたトーチは、小嶋さんに託された。花に彩られたかごに乗り込み、高さ8メートルの塔の頂上へ。その際、平和大橋西詰めの慰霊碑が見えた。「お姉ちゃん…」。心の中でつぶやいた。

 1945年8月8日夜。小嶋さんは爆心地から約1・6キロの広島貯金支局で生まれた。ろうそく一本ない暗い地下室で母が産気づき、重傷の助産師が取り上げてくれた。その様子を描写した詩は世界で訳され最も知られる原爆詩の一つとなった。

 惨禍の記憶はない。ただ原爆で亡くなった姉(平野玲子さん)のことを思うと、今も胸が張り裂けそうになる。広島市立第一高女(市女、現舟入高)1年生で、現在の平和記念公園一帯で建物疎開中だったという。生前、母のおなかをさすり「女の子だったら和子という名前にして」とねだったらしい。

 この日の朝、市女の慰霊碑に花を供えた。花の塔に点火した時、ふとその碑が視界に入った。「きっと姉は私に気付いて喜んでくれたはず」とほほ笑む。

 戦後復興の歩みと重なる人生。核兵器はまだなくならず、新型コロナウイルス禍も続く。それでも小嶋さんは前を向く。「私の元気な姿が世界平和に向けて役立つならうれしい。コロナなんかに負けてられない」

(2021年5月4日朝刊掲載)

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