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殿敷侃 長門のアトリエ近く取り壊し 周縁で世界見つめる 来年没後30年 原爆原点に創作

 きのこ雲を表現した刺激的な平面作品、廃棄物を使った巨大なインスタレーション…。1980年代の現代アートシーンに旋風を巻き起こした広島市出身の美術家殿敷侃(とのしき・ただし)。来年に没後30年を迎える。取り壊しが決まった長門市のアトリエを訪ね、創作活動の軌跡をたどった。(西村文)

 両親を奪った原爆への憎しみを原点に、幅広い創作を展開した50年の生涯だった。国鉄在職中に絵を描き始めた異色の経歴。30歳で国鉄を退職し、当時の勤務先だった関東から転居したのが長門市だった。縁もゆかりもない土地を選んだ理由は不明だが、「海が見える場所が気に入った」と周囲に語っていたという。

 亡くなるまで暮らした木造2階建てのアトリエ兼住宅は、田園風景を望む山裾にたたずむ。1階は台所と居間、2階に広いアトリエ。窓から遠くに海が見える。着色した絵筆や版画の試し刷りがそのまま残り、創作に没頭した姿がしのばれる。維持管理してきた関係者の高齢化とコロナ禍の影響で、親族が売却することを決めた。近く取り壊しとなる。

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 「夢は見るものではなく/夢は生きるものである。」―。今年3月、遺品の整理に訪れた関係者たちが、1階の押し入れの奥の壁で殿敷の筆跡を見つけた。「まさかこんな場所に」。益田市のギャラリー草花舎のオーナーで生前に親しかった澄川やしまさん(72)は驚く。「建物を増改築した1979年前後に書いたのでは」と推測する。

 それは、殿敷が80年代に入って作風を大きく変える時期だった。70年代までは頭部のない人体やきのこ雲、原爆で亡くなった両親の遺品などを極細密の点描で表し、新進画家として高い評価を受けていた。転機は82年。ドイツの現代美術展で巨匠ヨーゼフ・ボイスと出会い、「社会活動そのものが芸術活動である」という思想に多大な影響を受けた。

 アトリエからは、長さ約2メートルの板を線描で塗りつぶした平面作品3点も発見された。広島市現代美術館の松岡剛学芸員によると、いずれも殿敷が84年に集中的に制作した「線の集積」シリーズで、未完成とみられる。当時、「平面を描線によって、空間を物によって埋め尽くすという特徴があった」と松岡学芸員。「晩年の大規模なインスタレーションに至る移行期に位置付けられる」と説明する。

 屋外には、長門の海岸に流れ着いた無数のごみを焼き固めた作品も数多く残っていた。そのシリーズの代表作「山口―日本海―二位ノ浜、お好み焼き」(87年)は重量2トンに及ぶ塊で、現在は広島市現代美術館に寄託されている。地元の百数十人と一緒に制作。環境問題を提起する先駆的な表現だった。

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 「まるでブラックホールのように周囲を引きつける人だった。芸術が好きな人も、よう分からんと言う人も」。殿敷主宰の絵画教室に通った長門市の光浄寺住職、小内良文さん(58)は振り返る。殿敷は晩年、米国や韓国での展覧会に相次いで参加。「海外に打って出る」と意気込んでいたが病魔に倒れ、「夢」は道半ばにして絶たれた。

 主要な遺品は関係者たちが持ち帰って保存し、将来的に展覧会などで展示するという。遺品のうち、大規模なインスタレーションを撮影したスライド約千枚については、NPO法人広島写真保存活用の会がデジタル化する。松浦康高代表(65)は「長門という周縁から世界を見つめていた希有(けう)な作家だった。未来に作品をつなぎたい」と話している。

(2021年5月13日朝刊掲載)

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