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社説・コラム

『書評』 なぜ戦争体験を継承するのか 蘭信三、小倉康嗣、今野日出晴編

風化・忘却 あらがうには

 戦争を知る世代が、身近でも一人また一人と世を去り、やるせない気持ちでいる。歳月にあらがえない以上、歴史の証人はいつかいなくなる。戦争体験の風化や忘却は、避けられないことなのだろうか。

 ところが本書の編者、蘭信三は「歳月は忘却をもたらすだけではない」と記す。「新たな記憶を呼び覚ますこともある」のだと。

 体験者のいない時代に、「継承」は可能なのか、そもそも私たちはなぜ継承するのか―。本書はそうした問いに、研究者らが多様に迫った論考集である。

 2部構成の前半は「体験の非共有性はいかに乗り越えられるか」がテーマ。6人の研究者が継承活動の実践を分析している。編者の1人小倉康嗣は、広島市立基町高の生徒が被爆者から体験を聞き、原爆の絵を完成させる活動を丹念に追う。語り手と聞き手の「対話的相互行為」に、継承の可能性を見る。

 半面、相互行為は多様な「継承」を生む。戦争体験が反戦平和につながることもあれば、自らの歴史認識やナショナリズムに読み替えられることもあろう。非体験者が運営に関わることで変質した戦友会を内側から分析した遠藤美幸、非体験者による創作特攻文学を分析した井上義和らの論文は、継承とは何かを深く問うてくる。

 後半は「平和博物館の挑戦」。継承を支える公共の基盤として広島と長崎の原爆資料館をはじめ多彩な15館を紹介する。靖国神社の遊就館、戦時性暴力の実態解明に取り組む「女たちの戦争と平和資料館」など幅広く取り上げたのは、歴史の継承と「合わせ鏡」でもある現代社会のありようをすくい上げるためだ。歴史的背景や特徴にとどまらず、「過去との対話」「記憶の開封」といった館の役割に、目を開かれる。

 結局タイトルの問い掛けには、ヒントはあれど明確な答えが示されない。だが、気付かされる。「なぜ」を手放さない―。それこそが継承の入り口であると。(森田裕美・論説委員)

みずき書林・7480円

(2021年5月16日朝刊掲載)

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