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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 論説委員 森田裕美 コロナ下の被爆体験継承

今できる「アップデート」を

 またしてもの感染拡大で、思うに任せぬ日々が続いている。戦争体験を聞かせてもらいたくて、昨年の初めに面会の約束をした高齢の知り合いにも、会えないままでいる。

 「感染を防ぐためには仕方ない」「コロナ禍はいつか収束する」と頭では分かる。しかし、歳月は待ってくれない。「被爆体験継承」という重い課題を抱える私たちにとって、大変な事態なのではないか―。何とも言えぬ焦燥感に駆られる。周りでも被爆者が相次いで体調を崩したり、亡くなったりしているからだ。

 そんな焦りは、静まり返った平和記念公園(広島市中区)を通るたびに増す。「継承」の要ともいえる原爆資料館は今、3度目の臨時休館中だ。一昨年までなら、この時期、修学旅行生たちであふれ返っていた。多くの若い世代が被爆者や遺品に向き合い、核が人類にどんな悲惨をもたらすのかを学んでいたはずなのに。同館職員らに話を聞いても、一様にもどかしさを口にする。

 無論、同館も手をこまねいているわけではない。オンラインでの被爆体験講話や証言のネット配信など工夫を続けてきた。だが相対する対面の重みには代え難いものがある。今できる選択をしながら平常に戻る日を待つしかないのだろう。

 何よりもどかしく感じているのは、「命あるうちに」と懸命に体験を語り続けてきた被爆者だろう。

 「こちらも先は長くない。このままでは伝えるべきことが伝えられない」。91歳の切明千枝子さんは修学旅行シーズンに予定していた証言活動が軒並みキャンセルになった。

 若い人の助けを得てオンライン証言を試したこともあるが、「やはり対面でないと無理」と感じた。祖父母も戦後生まれという今の子ども世代にぴんときているかどうか。目と目を合わせて語らなければ、一方通行になると切明さんは言う。

 時間を奪われることへの焦りは、若い世代も同じだ。横浜市立中の教員平川正浩さん(61)は今ごろ、3年生を引率して広島にいるはずだった。関東で感染が拡大した4月下旬、秋への延期が決まった。昨年の学年は中止になっただけに、今年の生徒たちはがっかりしつつ「中止でないだけ良かった」と感じているようだ。

 入学以来2年余りをかけて事前学習を重ねた生徒たちは、「現地に行って自分の目で確かめたい」という姿勢でいる。そうして広島を訪れ、遠い昔の誰かの話としてではなく、自らの経験の中にヒロシマを受け止めていく。

 平川さんが広島で直接被爆者から話を聞き、被爆建物を巡る修学旅行にこだわってきたのは、そんな「継承」の姿を見てきたからだろう。

 「現物を、現場で、現実の状況に照らして見ることにいかに力があるか」。3月、被爆体験継承をテーマにした公開講座で、広島大平和センターのファン・デル・ドゥース・ルリ准教授(記憶学)が語っていた。

 では、現場や現物とリアルに接することが難しい今、「継承」はできないのだろうか。尋ねてみると、ファン・デル・ドゥースさんにも、焦る気持ちはあるという。

 それでも「やるべきことは山ほどある。今は『当事者感』を育てるためのインキュベーション・ピリオドです」と説く。インキュベーションとは抱卵。つまりふ化までの培養期間とでも言えようか。

 被爆体験の継承とは、「自分ごと化」する「記憶の更新」であり、非当事者が当事者に近づいていく過程であると言う。「コロナ下では奪われたものに目が向きがちだが、逆にこれまで見えなかったもの、してこなかったことに着手する好機だ」とも語る。例えば被爆者の証言映像や手記などすでにある資料にアクセスする。増えた読書時間に原爆文学を読む、といった具合に。

 なるほど、すでに存在している表現物を再評価や再解釈することでも、記憶のアップデート(更新)はできそう。コロナ下で焦り、悩んで得た記憶もまた「継承」の土台になるはずだ。

(2021年5月20日朝刊掲載)

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