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大竹市原爆被爆者協議会 創立50年 反核バトン 次代につなぐ 2世加入 呼び掛けに力

 大竹市内の被爆者たちでつくる市原爆被爆者協議会が今春、創立50年を迎えた。副会長3人のうち被爆2世の会員が2人を占めるなど、継承へのバトンがつながっている。(白石誠)

 会は1971年4月、約2千人で創立した。現在の会員は約600人。市内の被爆者は2月末で502人で毎年約40人減っている。あの日、大竹の住民たち千人以上が国民義勇隊や学徒動員で広島市内に入って被爆し、多数が犠牲になった。また、被災者が大竹へ船などで送られ、住民たちは懸命の救護に当たった。

 「美しい地球から人間の所業である全ての戦争をなくし、核兵器を廃絶させるのは私たちの責務です」。83年11月6日、当時の三上登会長が宣言した。会が大竹市で初めて開いた原爆死没者追悼・平和祈念式典。初回だけ8月6日でなかったのは、原爆慰霊碑の除幕に合わせたためだ。

 市内初の慰霊碑は「叫魂(きょうこん)」と名付けられている。会が寄付を呼び掛け、同市立戸の市総合市民会館の前庭に818万円かけて建てた。ヒロシマの空に気持ちがつながるようにと、碑は東を向く。例年8月6日の式典は碑の前で開く。

 式典は市、市教委との共催。市内小中高生の代表が参列し、うち3人が「平和への誓い」を読み上げる。若い世代が核兵器廃絶への考えを深める貴重な場だ。

 会員のうち被爆2世が114人いる。生後1カ月で入市被爆した5代目の中原悦司会長(75)は「先輩の歩みを引き継ぐ義務がある。会をなくさないよう被爆2世の加入をさらに呼び掛ける」と勧誘を活発化させる考えだ。

<大竹市原爆被爆者協議会の歩み>

1971年4月1日  会員約2千人で創立。初代会長は末岡貞人氏
  83年11月6日 初めての「大竹のヒロシマの日」式典を市内で開催。            原爆慰霊碑「叫魂(きょうこん)」を除幕
2010年      式典が市、市教委との共催に
  15年      市内の小中高校への証言者派遣を終了
  20年8月6日  新型コロナウイルス禍で38回目の式典。参列席を            半減し小中高生の招待を見送り

原爆慰霊碑「叫魂(きょうこん)」
 大竹市原爆被爆者協議会が中心に1983年、市内に建てた被爆者の怒りと永遠の平和の象徴を表す父子像。仁王様に似た父が怒りの声を上げながら天をにらみ、地蔵様に似た子は父の足にすがりつき天を仰いでいる。高さ2メートルのブロンズ製で、高さ2メートルの台座に載る。市内の彫刻家で、広島県美展審査員だった三上良平さんが1年半がかりで制作した。

(2021年5月24日朝刊掲載)

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