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「被爆者ゼロ」妻との約束 内部被曝研究の名誉教授 8・6式典に参列へ

 原爆や原発事故による内部被曝(ひばく)の危険性を訴えている琉球大の矢ケ崎克馬名誉教授(69)=物性物理学=が8月6日、広島市の平和記念式典に沖縄県の遺族代表として参列する。胎内被爆者の妻八重美さんを1月に失った。「放射線で苦しむ人はもうたくさん」との思いを胸に、妻と出会った広島を訪れる。

 東京で生まれ、大空襲に遭った矢ケ崎さんは名古屋工業大を卒業し、広島大大学院に。八重美さんと知り合い1971年に結婚、74年、沖縄に移住した。

 内部被曝の研究を始めたのは90年代、米軍が沖縄で劣化ウラン弾を訓練で使用したことがきっかけとなった。2003~04年には、熊本地裁での原爆症認定集団訴訟で、08年には、被爆者の看護や救護に従事した「3号被爆者」の広島地裁での訴訟で、いずれも原告側証人として内部被曝の危険性を指摘した。

 11年の福島第1原発事故直後には、福島県内各地で土壌の放射線量を測定。活動の根底にあったのが、妻と義母を苦しめた原爆を許せないとの気持ちだ。

 八重美さんは、原発事故の影響を懸念して沖縄に移り住んだ人たちを支援する市民グループをつくり、熱心に相談に乗っていた。しかし知人の古希の祝いの席で心臓発作で突然倒れた。その時、「一人一人が大切にされる社会を築くため一緒に力を合わせましょう」とスピーチしたのが最期の言葉になった。矢ケ崎さんは、放射線被曝の影響で心臓の機能がもろくなっていたのではないか、と話す。

 八重美さんの母は親戚を捜しに入市被爆。倦怠(けんたい)感を訴え続け、子宮がんと腎臓がんを患い、72年、大量吐血して亡くなったという。

 「原爆や原発事故の犠牲者は二度と生み出さない。それが妻との約束で、私の仕事でもある」。式典を前に、矢ケ崎さんは決意を新たにしている。(増田咲子)

(2013年7月27日朝刊掲載)

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