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朗らかな人柄しのぶ声 君田の詩画家はらみちをさん死去 住民と温かい交流

 2014年に広島市から三次市君田町に移り住んだ詩画家はらみちをさんが92歳で亡くなった。母と子をテーマにした作品を数多く描き、同市に寄贈した作品群は同町泉吉田のはらみちを美術館に展示されている。地元住民からは、朗らかな人柄をしのぶ声が相次いだ。(石川昌義)

 はらさんと君田町との縁は、君田小が1995年に開いた講演会から始まる。PTA会長だった古川(こがわ)充さん(67)=石原=は当時、君田村役場の職員。「講演会や個展を開くと、明るい性格もあってファンが増えていった」という。

 古川さんはその頃、君田温泉森の泉(泉吉田)の開業準備を担当していた。脳性まひで両手足が不自由なはらさんは97年の開業後に温泉を訪ね、古川さんの介助を受けて入浴を楽しんだ。「いい笑顔で『この世の天国だなあ』と喜んでくれた」と懐かしむ。

 同施設のフロントには、「森の泉はお母さん」と題したはらさんの母子画を飾っている。「さらさらっとした筆遣いで描いてもらった。おおらかな人柄そのまま」と増原美登里支配人(73)。温泉の隣接地に06年、市の整備で美術館が開業すると、同館などが主催する「お母さんの詩コンクール」の表彰式で毎年、直筆の賞状を贈った。

 自宅兼アトリエがあった広島市東区牛田旭から14年6月、君田町東入君の障害者支援施設「ニューライフ君田」に転居した。施設職員の名刺には、はらさんが描いた君田町のシンボルの大輪のヒマワリと母子の姿をあしらっている。介護福祉士の安部真理子さん(47)は「温厚な人。絵筆を握るときも笑顔を絶やさなかった」と振り返る。

 三次市内の病院に入院した昨年1月まで、知人と一緒に外出を楽しんだ。ブログではらさんの近況を発信してきた三次市海渡町の会社員反田龍治さん(59)は「カレーが大好きで喫茶店巡りが趣味。楽しくて仕方ない様子で電動車いすに乗って自由自在に動き回った、はらさんらしい大往生だったのでは」と語った。

(2021年5月28日朝刊掲載)

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