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大島賢三さん死去 78歳 広島市出身 元国連大使

 被爆者で、国連大使や東京電力福島第1原発事故に関する国会事故調査委員会委員を歴任した大島賢三(おおしま・けんぞう)さんが5月29日午前0時20分、急性大動脈解離のため東京都内の病院で死去した。78歳。広島市東区出身。葬儀・告別式は近親者で執り行う。

 2歳の時、牛田(現広島市東区)の自宅で被爆し、母親を亡くした。1967年に外務省入省。経済協力局長、国連事務次長などを経て2004年、国連大使に就任した。06年10月に北朝鮮が核実験を行った際は、国連安全保障理事会の制裁決議採択に尽力した。

 07年に退官後、国際協力機構(JICA)副理事長、原子力規制委員会委員を歴任。放射線被曝(ひばく)者医療国際協力推進協議会(HICARE)の理事や一般社団法人アフリカ協会理事長も担った。

 19年4月に広島県大崎上島町に開校した中高一貫校の県立広島叡智(えいち)学園では、運営方針などを助言する「インターナショナルアドバイザー」を務めていた。

(2021年6月1日朝刊掲載)

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