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社説・コラム

天風録 『大島賢三さん』

 21世紀最初の平和記念式典でのこと。国連のアナン事務総長からメッセージを託された人道担当事務次長は、代読する前に名乗り、こう続けた。広島市の出身で被爆者です―。自己紹介というよりは、被爆地との連帯の表れだったのかもしれない▲国連大使などを歴任した大島賢三さんである。思わぬ悲報が届いた。20年前の式典後には「個人の感情を入れるべきではないのかもしれませんが」と前置きして、「特別な思いで読み上げた」と胸の内を明かしていた▲2歳で被爆し、母を奪われた。惨状の記憶はないが、級友には原爆孤児がたくさんいた。「体験の中に原爆が刻み込まれている」と語っていた。2005年に国連本部で開かれた原爆展にも力を尽くした▲被爆者とどこか二重写しになっていたようだ。チェルノブイリの被曝(ひばく)者にも心を寄せ、支援を担った。最近はミャンマー情勢に胸を痛めていたという。平和的解決に向け、アジア各国と連携し外交努力するよう、4月に政府へ提言したばかりだった▲新世紀に入って20年。今なお世界は混迷している。人道を重んじる外交のプロとして、そして被爆者として、核なき世界への道筋を照らし続けてほしかった。

(2021年6月2日朝刊掲載)

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