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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 特別論説委員 佐田尾信作 福島を詠む人たち

死者の嘆きのために生きる

 広島市郊外にある拙宅から歩けば辺りは田植えを終えたようだ。新型コロナウイルスの収束が見えぬ中、変わらない営みにほっとする。

 生きかわり死にかわりして打つ田かな(村上鬼城(きじょう))

 西中国山地のあぜ道で名句が古びた碑に刻まれているという。人は死しても産土(うぶすな)は変わらずにある。廃された田畑が山野に戻っても、分け入ろうと思えばできなくもない。

 しかし今、それさえかなわない土地がこの国にはある。東京電力福島第1原発(イチエフ)の破綻から10年。4月に福島県いわき市で開かれた「福島浜通りの震災・原発文学フォーラム」で、福島の詩人や歌人、俳人たちが何を伝えようとしているのか、つぶさに知る機会を得た。

 福島の土うたふべし生きてわれは死んでもわれは土をとぶらふ

 会津若松市の本田一弘の歌。寿命がないはずの土も、原発の破綻で亡きがらになり、「除染」という名目で黒い袋に収められた。自分が生きても死んでも土を弔う(とぶらふ)―と決心した歌人の心境に、こちらも身の引き締まる思いがする。



 鴨(かも)引くや十万年は三日月湖  須賀川市の永瀬十悟の句。「三日月湖」は本来、河川の流れから取り残された潟湖(せきこ)の意だが、ここでは復興から置き去りにされた浜通りを指す。避難したり離散したりした人たちの思いも三日月湖のようではないか。渡り鳥(鴨)さえ春には北へ帰るのに。登壇した永瀬は「福島の俳人が原発事故の不条理を詠めなくてどうするんだ」と問うていた。

 夕方になると、夕焼け売りが/奪われてしまった時間を行商して歩いている。/誰も住んでいない家々の軒先に立ち/「夕焼けは、いらんかねぇ」/「幾つ、欲しいかねぇ」

 いわき市の齋藤貢の詩。あの日は南相馬市の商業高校で校長を務めていた。昔なら夕焼けに金を払う人はいない。だが、今は夕焼けを売り歩く商いがある。この詩は、その声が聞こえると誰もいない町から夕餉(ゆうげ)の煙が漂ってくる、と続くのだ。

 シンポに登壇した齋藤は「絆とか愛とか、そのような言葉で眠らされてはだめだ」と訴える。奪われた故郷を忘れるな、受けた仕打ちを忘れるな―。そう考えれば〈「幾つ、欲しいかねぇ」〉などと畳み掛ける、押し売りにも思える夕焼け売りは、齋藤の分身なのかもしれない。

 横浜市の詩人野木京子(中国詩壇選者)にシンポの要旨を伝え、批評を求めた。野木は「原民喜が被爆後の『鎮魂歌』で『死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ』と繰り返していたことを思い出す」と返信をくれた。安易に希望を語る言葉ではなく、苦しみを直視した言葉の方が今も苦しむ人々を励ますという。

 もう一人、呉市の詩人豊田和司に批評を求めた。豊田は齋藤の詩にある〈ひとがひとの暮らしを奪う。/誰が信じるというのか、そんなばかげた話を。〉の一節に注目する。齋藤の怒りは人災であることに向けられているのでは、とみるのだ。

 〈ヒトは、その生存期間内で管理を全うできない核物質を扱うべきではありません。〉

 シンポには南相馬市の詩人若松丈太郎から、そんな伝言が届いた。旧ソ連チェルノブイリの現実も知る若松は程なく、この世を去る。遺言にも似た言葉から、國分功一郎著「原子力時代における哲学」(晶文社)の一節が筆者の頭に浮かんだ。

 原子力は本来「太陽圏」に属している。人類は太陽から火を贈与されて進化したが、やがて「生態圏」に太陽を取り込もうとして過ちが生まれたという。若松の言葉は本質を突く。

 作家高橋源一郎に「書く余裕なんかなければないほど、文章を書くべきなのである」という一文がある。小説やルポルタージュを含めて文学は極限からも生まれている。(敬称略)

(2021年6月3日朝刊掲載)

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