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市女原爆犠牲者 母校に旧銘板を移設

■記者 東海右佐衛門直柄 

 原爆投下により広島市内の学校で最大の犠牲者が出た「市立第一高等女学校」(市女)の生徒と教員の名前を刻む旧銘板が9日、同校の後身となる舟入高(中区舟入南)に移設された。「母校で安らかに眠ってください」。両校の同窓会が開いた除幕式で、同級生たちが友の名前を指でなぞりながら語り掛けた。

 旧銘板はステンレス製の2枚で、ともに縦60センチ、横130センチ。1945年8月6日の原爆投下で、学徒動員中に亡くなった生徒と教員の計676人の名前を刻んでいる。1985年、両校の同窓会が中区中島町の「市女原爆慰霊碑」後方に設置していた。

 墨が流れ落ちるなど老朽化が進んだため、同窓会が2007年5月、新しい銘板に建て替え、旧銘板は保管していた。遺族の「名前だけでも母校に残したい」との願いを受け、移設を決めた。

 犠牲者の大半は直爆死とみられ、多くは遺骨も見つかっていない。毎年8月6日には、銘板を前に涙を流す遺族も多く、原爆で奪われた尊い命の証しとなっている。

 当時、専攻科だった加藤八千代さん(80)=西区井口=は同科の同級生16人を亡くした。「みんなの顔が目に浮かぶ。もっと一緒に勉強したかったよね」と震える声で銘板に呼び掛けた。市女の教員だった一場不二枝さん(87)=中区江波栄町=は、「学校の門を出たまま戻ってこられなかったみんな、お帰りなさい」と涙ぐみ、冥福を祈っていた。

(2009年5月10日朝刊掲載)

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