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連載・特集

検証 松井市政10年 平和行政

核廃絶 世論喚起に力点

問われるトップの発信力

 広島市長が平和記念式典で読む平和宣言の文案を検討する有識者会議が5月18日、市役所であった。「核抑止政策の転換を後押しする国際世論を一層高めることが必要だ」。松井一実市長は、大きな目標だった核兵器禁止条約の発効後の次の取り組みとして、世論を喚起する重要性を説いた。

 広島市長が会長の平和首長会議は、行動指針「2020ビジョン」の柱に禁止条約締結を据え、「被爆者が存命のうち」の2020年までの核兵器廃絶実現を掲げた。03年にビジョンを作った時の会長は秋葉忠利前市長。秋葉前市長は、実現への行程を定めた「ヒロシマ・ナガサキ議定書」が核拡散防止条約(NPT)再検討会議で採択されるよう、海外で発信を重ねた。

 11年4月に就任した松井市長はビジョンを継承しつつ、「出かける平和から迎える平和」を掲げて海外出張を抑えた。禁止条約では制定の機運を高める署名集めなどを続けた。

「期限」迎え転機

 17年の条約制定から約3年を経て、批准国数が要件の50に達し、今年1月に発効した。ただ、保有国や日本など同盟国は背を向け続ける。核兵器廃絶を達成できぬまま、ビジョンの「期限」は切れた。

 期限切れや条約発効という転機を迎えた今年、松井市長は「平和文化の振興」を強く押し出している。

 1月の記者会見で、今夏にまとめる次のビジョンの柱を「平和文化の振興」とする意向を表明。「核兵器は『絶対悪』という認識を、市民社会の総意とするためには不可欠だ」と訴えた。政治家を選ぶ市民の平和意識を育み、核兵器廃絶を求める世論を高めることで、政治指導者が核抑止政策の転換を決める潮流が生まれると展望する。

 さらに、次の目標は市民社会の総意の形成だとし、「看板」だった核兵器廃絶の目標年限は設けないと主張した。国の政策決定者をじかに批判して政策を変えようとする手法では「核兵器廃絶への取り組みの議論すら進まない」と持論を述べた。

 この対応に、ある市関係者は官僚出身の「松井色」を見て取る。「外交・安全保障政策はあくまで国の役割で、自治体ができる世論喚起を堅実にやろうしている。廃絶への具体的道筋を自ら描き、国際政治に直接影響を及ぼそうとした『2020』と対照的だ」

芸術文化交える

 市は21年度当初予算に平和文化振興の費用を計上。今年11月を「平和文化月間」とし、平和コンサートや平和文化に関する標語募集をすると計画している。

 被爆者で元原爆資料館長の原田浩さん(81)=安佐南区=は「芸術文化を交えて幅広い層に発信することに意義はある」と受け止める。同時に「被爆者が高齢化する中、被爆の実態を伝え続ける態勢づくりも急ぐべきだ」と注文する。

 特に念頭にあるのが被爆建物の保存活用だ。「広島壊滅」の第1報を伝えたとされ、広島城の敷地内で市が管理する中国軍管区司令部跡(旧防空作戦室、中区)は老朽化のため内部見学を中止し、再開のめどは立っていない。広島大旧理学部1号館(中区)は、どう活用していくのかの議論が途上にある。

 被爆者団体は松井市長に対して、市民の世論喚起だけではなく、自ら禁止条約の参加を日本政府に強く迫るよう求めてきた。時として政府批判も辞さない姿勢が必要と強調。広島の被爆者6団体は19年7月、日本政府に条約参加を直接的に求める文言を平和宣言に入れるよう、市に要望した。

 松井市長は20年8月6日の平和宣言で「被爆者の思いを誠実に受け止めて核兵器禁止条約の締約国に」と政府に求めた。核兵器廃絶を市民社会の総意とし、国家の意思を変える―。新たなビジョンへの共感を広げるには、被爆国日本を「実例」とするための市自らの努力が欠かせず、被爆地の首長の発信力が問われる。(水川恭輔)

平和首長会議

 核兵器廃絶を目指す都市の連帯組織。会長は広島市長が、副会長は長崎を含む世界14市の市長が務めている。2021年6月1日時点で165カ国・地域の8031都市が加盟し、このうち国内は1734都市となっている。1982年に広島、長崎両市長の呼び掛けで発足した「世界平和連帯都市市長会議」を前身とし、01年8月に平和市長会議へ、13年8月に現在の名称へ、それぞれ改称した。

(2021年6月9日朝刊掲載)

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