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社説・コラム

『ひと・とき』 元「地平線」編集人 寺島洋一さん

父の日記に瀬野の昔日

 家裁調査官を定年で辞め、広島市安芸区瀬野に帰郷して30年。この間、明治生まれの父卓一の膨大な日記の解読を進め「最後の著作」に仕上げた。名付けて「明治の父の日記」(文芸社)。「悪筆で古文書より難しかった。かつては機関区を擁した『鉄道村』瀬野の人と歴史の物語として受け止めてもらえれば」

 国鉄マンだった卓一の日記は全36冊。明治の終わりから敗戦後に58歳で急逝するまでつづっていた。瀬野駅で働いていた頃は「瀬野のペスタロッチー」ともたたえられた恩師桔梗(ききょう)豊松を顕彰すべく奮闘したことが分かる。その折に教育界の秘事に憤慨し、心情を吐露した一節もある。

 日中戦争のさなかには卓一は華中鉄道輸送課長として一家で上海に赴任。鉄道が軍部に統制されていったこと、引き揚げる際に末っ子を病死させたことなどを綿々と書きのこす。若き日は疎ましかったという寺島さんは今、父と向き合っているのだろう。

 自身は京都大在学中に詩のサークルに加わり、後輩の劇作家山崎正和とは浅からぬ縁があった。帰郷後は総合文芸誌「地平線」の編集人を務めながら「雲雀(ひばり)と少年/峠三吉論」などを著す。現在は瀬野川流域郷土史懇話会の活動を担っている。(佐田尾信作)

(2021年6月15日朝刊掲載)

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