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社説・コラム

天風録 『黒い拳と「3本の指」』

 1968年のメキシコ五輪。米国の黒人陸上選手2人が表彰台でうつむき、黒い手袋の拳を突き上げた。国歌が流れている間、ずっと。映像の時代に入った五輪だけに衝撃は全世界に走る▲「金」の台に立ったトミー・スミス氏によると、目的は「黒い威厳を取り戻すこと」。人種差別の渦の中を帰国した彼らはなじられ、競技人生も閉ざされた。それでもスミス氏は「拳を突き上げて小さな割れ目ができた」と昨年、米紙に答えている▲こちらの「3本の指」も小さな割れ目になると信じる。サッカーW杯予選で来日中に無言で国軍に抗議したミャンマーのピエ・リヤン・アウン選手▲関西空港の出国審査場で「帰りたくない」と慣れない英語で懸命に訴え、日本に保護を求めた。3本の指の行動は大きく報じられ、帰国すれば命が危うい。かといってとどまれば家族や友人はどうなる。ずっと悩み、チームからの離脱もままならないまま、最後に決断したという▲ベトナム戦争のさなかに脱走米兵を支援した作家小田実氏は「ひとりでも(軍を)やめる、これが脱走兵の原理だ」と語った。小さな割れ目が地殻変動に至るのは歴史の常。正義への大いなる脱走を支持する。

(2021年6月19日朝刊掲載)

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