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社説・コラム

[コロナ×文化びと 私の3カ条] バリトン歌手 今田陽次さん(42)=広島市中区

逆境でも歌で希望を

 「マグマのようにふつふつと燃えています」。募る歌への思いを、そう口にする。5年ほど前、戦争や原爆への怒りを絵や詩で表現した四国五郎さん(1924~2014年)の作品と出会い、衝撃を受けた。ライフワークと定め、四国さんの詩に曲を付けて歌い始めた。そこへ襲ったコロナ禍―。「情熱を下火にしたくない」。今春、勤め先を離れ、フリーの声楽家として歩み始めた。ひたすらに、歌の力を信じて。(西村文)

① 四国五郎を伝える

 「はなれないで 流れてゆきなさい おとおとよ…」。深みのあるバリトンが、原爆ドーム前の川面に響きわたった。四国さんの未発表の詩に曲を付けた「灯ろう流し」。昨年5月、声楽やコーラスの活動が相次いで中止に追い込まれる中、「歌で希望を届けたい」とインターネットで配信したうちの一曲だ。

 シベリア抑留から生還し、原爆で弟を失い、戦争への憎しみを表現し続けた―。そんな四国さんの生涯に激しく心を揺さぶられ、2019年から四国さんの詩を基にした歌を三つ発表してきた。遺族の許諾を得て知人らに作曲してもらった。反響が広がり、昨年は国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(中区)や長崎で歌う機会を得た。

 「もっと全国各地の子どもたちの前で歌いたい」。音楽活動に専念するため、小・中学校の特別支援学級の指導員を3月で辞めた。4月からインターネットにホームページ「うたの教室」を開設し、平和学習の依頼募集などを始めた。緊急事態宣言下のスタートとなったが、「たくさんの方が心配して応援してくださっている。幸せ者です」。

② 心つなぐ力信じる

 江田島市に生まれ、小学校の合唱で「声が大きい」と褒められて歌が好きになった。広島市内の高校に進学後、音楽の先生との出会いがきっかけで歌の道を志すように。その恩師の母校であるエリザベト音楽大(中区)で学び、卒業後は声楽家としてコーラスグループの指導にも携わってきた。

 歌とともにあった日常は、コロナ禍で一変した。昨年3月、広島少年合唱隊など、指導するコーラスグループは次々と活動休止になった。夏になって練習が再開すると、ぐっと背が伸びた子どもたちの笑顔を見ながら、人々の心を結びつける歌の力をあらためて実感した。今は緊急事態宣言を受けて再び休止中。「会えないのはつらいが、コロナ禍でお互いへの信頼や理解が深まった面もある」と前向きだ。

 「苦しい思いをしている仲間同士でアイデアを出し合い、地域を盛り上げたい」と、故郷の飲食店やホテルを会場にしたコンサートを企画中だ。「逆境をチャンスと考え、頑張りたい。歌う喜びを爆発できる日まで」

③ 家族と共に

 「どう歌えば原爆の悲惨さを人ごとではなく、『自分ごと』として伝えられるだろうか」。四国さんの詩を歌う機会を重ねるごとに「まだまだ力不足」との思いが深まるという。大きな支えとなっているのは、新曲ができるたびに最初の聞き手となってくれる家族だ。

 妻の綾さん(42)はエリザベト音楽大の同級生。高校2年から小学1年までの2男2女は父の歌をきっかけに、四国さんの創作世界に触れるようになった。

 日常生活では「カープ好きのお父さん」としての顔も。18年に現役を引退した新井貴浩さんの大ファンで、楽譜カバーの内側にはひそかに似顔絵のシールを貼っている。「新井さんのカープ愛に励まされてきた。自分も歌への愛を貫き、誰かを励ます存在になりたい」

(2021年6月21日朝刊掲載)

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