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遺品 無言の証人

[無言の証人] 戦陣訓・勅諭集

腰に下げ13歳被爆死

 縦16センチ、横11センチの小さな布袋に古びた冊子が入っている。「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず」の一節で知られる1941年1月の「戦陣訓」と、軍人勅諭などを収めた勅諭集だ。

 13歳だった県立広島第二中(現観音高)1年の慶徳清さんが身に着けていた。45年のあの日、同級生らと中島新町(現中島町)で建物疎開作業に動員され、爆心地から600メートルで熱線と爆風を浴びた。

 母親のサダメさんは翌日、府中町の自宅から広島市中心部に入って息子を懸命に捜したが、見つけることはできなかった。絶望の中で帰宅した後の同日夕、同級生5、6人とトラックに乗せられ、慶徳さんが自宅に帰ってきたという。

 体は「スルメが焼けたように全身が茶色のようなピンクのような状態」。目は見えていなかった。意識が遠のく中、弟の進さんの名前を呼び「王手!」と叫んだ。2人で将棋を指した日々を思い出したのか。8日午前8時15分に息を引き取った。

 42年後、サダメさんはノートにつづっている。「子を亡くした位悲しいことはございませんでしょう 一生涙の種です」(新山京子)

(2021年6月21日朝刊掲載)

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