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社説・コラム

社説 沖縄慰霊の日 悲惨な歴史 共有したい

 沖縄はきのう、戦没者を追悼する慰霊の日を迎えた。太平洋戦争末期の沖縄戦では、日米合わせて20万人以上が犠牲となり、沖縄県民の4人に1人が命を落としたとされる。

 沖縄は新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言下にある。追悼式は昨年と同様大幅に縮小された。

 集まることが難しい状況が続く一方、沖縄戦を体験した人たちは高齢化し、年々減り続けている。悲惨な戦争の記憶を語り継ぎ、非戦の誓いを新たにすることが、私たちの責務である。

 玉城デニー知事は追悼式で、「沖縄戦の実相と教訓を次世代に伝え続け、国際平和の実現に貢献にできる島を目指す」と述べた。宮古島市の中学2年生上原美春さんは「平和の詩」を朗読し、「過ちを繰り返さないよう、未来に伝えつなぐことが今を生きる私の役目」と訴えた。

 一方、菅義偉首相はビデオメッセージで「沖縄の方々には米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいている。この現状は何としても変えなくてはならない」と述べた。だが、この言葉が、沖縄の人々の心にどれだけ響いただろうか。

 76年前、沖縄は本土防衛の捨て石にされ、戦後も27年間にわたって米軍の施政権下に置かれた。米軍が次々と土地を強制収用し、国内の米軍専用施設の7割が集中し、現在も県民を苦しめている。

 多くの県民の反対を押し切る形で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設に伴う、名護市辺野古沖への新基地建設を強行している。

 菅氏は官房長官時代の2015年、当時の翁長雄志(おなが・たけし)知事との協議の場で「私は戦後生まれなので、(沖縄の歴史は)分からない」と言い放ったという。沖縄の歴史や県民の思いを踏みにじるような政権の姿勢は看過できない。

 辺野古の新基地建設では、許しがたい計画が持ち上がっている。軟弱地盤を改良するために使う土砂の採取地に沖縄本島南部を加えたのだ。沖縄戦では、日本軍の撤退に伴い激戦地となった。海岸線には、住民が逃げ込み命を落としたガマと呼ばれる自然壕(ごう)が点在し、多くの遺骨が眠っている。

 その土砂を県民の多くが反対する新基地建設に使おうとする無神経さにはあきれるしかない。県民から激しい怒りと反発を買うのも当然だ。

 国が理不尽な態度を改めない限り、沖縄県民の国への不信感が拭い去られることは決してないだろう。

 ヒロシマやナガサキと同様に、沖縄の地上戦を体験した語り部は高齢化している。その記憶の継承が課題となっている。若い世代に歴史を学んでもらうことが重要になる。慰霊の日のさまざまな行事は、重要な役割を果たしてきたが、コロナ禍の影響でできなくなった。

 沖縄戦に動員された女子学徒隊の被害を伝える「ひめゆり平和祈念資料館」(糸満市)などの施設もコロナ禍の影響で来館者が激減し、苦しい運営を強いられている。かつてない事態と言えよう。

 来年は沖縄の本土復帰50年を迎える。沖縄の人々が味わってきた痛みが私たちの痛みとなるよう、幅広い国民が沖縄と思いを共有できるようにしたい。

(2021年6月24日朝刊掲載)

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