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社説・コラム

天風録 『「橘隆志」から「知の巨人」へ』

 奇妙なアルバイトもこなした。何やら薬を飲まされ、30分置きに採尿させられる。今で言う治験か。訃報で「知の巨人」と評された立花隆さんも東大生の頃は靴一足の払いさえ月賦だった▲そこへ一通の手紙が届く。核軍縮を冠した組織から欧州の会議に誘われた。友と2人で広島の原水禁大会に乗り込み、各国の代表団に訴えた原水爆告発の行脚が実現した。本名「橘隆志」は60年余り前の本紙に見える。今なら1千万円に上る経費を捻出すべく金欠学生は奔走した▲長崎生まれの立花さんは幼少期を大陸で過ごす。もし故郷にいたら自分は―と自伝でつぶやく▲「原爆の子」などのフィルムを担いで欧州を行脚し、旧ソ連の核を巡って賛否が白熱する現場に遭遇した。同じ頃、日本の運動には警官隊との攻防はあっても議論がない、と気付かされる。やがて組織がバスで人を動員するような運動と一線を画す。既成政党の権威を物ともせぬ後年の仕事に結実するのだろう▲したり顔は若者の特権、考えすぎたら行動などできない―と立花さんは記す。あの時代、無謀にも渡欧した自分がそうだった。今は橘隆志に戻り、天から若者の尽きぬ可能性に思いをはせていよう。

(2021年6月25日朝刊掲載)

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