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原爆不明者 家族の痛み 資料館 習字や瓦片 形見の品展示

 米軍の原爆投下後に行方不明となった5人の犠牲者のゆかりの品を展示する「イマダ ユクエハ シレズ」が、広島市中区の原爆資料館東館1階で開かれている。遺骨すら見つからない中、形見となった遺品を、寄贈した家族の痛みや苦しみとともに伝えている。無料で、9月まで。

 並んでいるのは、市立第一高等女学校(現中区の舟入高)1年で市中心部の建物疎開作業に動員されて被爆し、行方不明になった中村容子さん=当時(12)=の家族が大切にしていた生前の習字など11点。いずれも資料館が収蔵している。

 このうち瓦片は、あの日、爆心地近くの銀行に出勤して行方不明になった浜田照代さん=当時(21)=を捜し歩いた母親の故かとさんが職場付近で拾い、形見にしていたという。

 瓦片は、照代さんの弟の故平太郎さんが寄贈した。平太郎さんは手記で「(照代さんを捜して)母はひとりで、市内の収容所や避難所をしらみつぶしに廻(まわ)りましたが、その手掛かりさえつかむことができませんでした」と家族の無念をつづっている。

 出張で広島市を訪れた伊藤英次さん(69)=名古屋市=は「今でも多くの行方不明の人がいるとは。改めて被害の大きさを知った」と見入っていた。(水川恭輔)

(2021年7月3日朝刊掲載)

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