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戦没五輪選手 後世に伝えねば 甲奴出身の曽根さん 三次で講演 戦争が奪った次のキャリア

 三次市甲奴町出身で、1976年のモントリオール五輪陸上女子走り高跳びに出場した広島市立大名誉教授の曽根幹子さん(68)=広島市中区=は、「戦没オリンピアン」をテーマに研究を続けている。東京五輪が開幕する戦後76年の夏を目前に、三次市で講演した曽根さんは「忘れてはいけない戦争の事実を遺族から聞き取り、調べ、後世に残すのは今しかできない」と訴える。(石川昌義)

 曽根さんは甲奴中、上下高(府中市)を経て、東洋大に進学。競技を引退した後は、広島市立大(安佐南区)で地域とスポーツの関わりを研究した。広島市の被爆70年史への執筆を機に戦没オリンピアンの調査を始め、20年のアントワープ五輪から36年のベルリン五輪までに出場した日本人38人を確認した。広島出身の戦没オリンピアンは5人。曽根さんは「東京と並んで多い。戦前の『スポーツ王国』ぶりを象徴している」とみる。

 「戦没オリンピアン」とは―。曽根さんは「戦争や暴力によって亡くなったオリンピック選手と役員」と定義する。戦地だけでなく、空襲や戦後のシベリア抑留で命を落としたオリンピアンの遺族証言や資料を収集。広島で被爆後、原爆症で亡くなったベルリン五輪陸上男子砲丸投げ代表の高田静雄氏(63年に54歳で死去)も調査した。

 三次市立図書館が主催し、6月末にあった講演会には約40人が参加した。そこでは、曽根さんが調査の過程で集めた戦没オリンピアンの遺影を紹介した。ロサンゼルス五輪(32年)の水泳男子100メートル自由形で銀メダルに輝き、硫黄島で戦死した江田島市出身の河石達吾氏(45年に33歳で死去)や、坂町出身でベルリン五輪の水泳男子100メートル背泳ぎに出場し、沖縄戦で戦死した児島泰彦氏(45年に26歳で死去)の遺影を、2人の母校、旧制修道中(現修道高・中区)を運営する修道学園に寄贈した経緯も紹介した。

 曽根さんは、遺族の高齢化や資料の散逸で調査が壁にぶつかっている現状に危機感を強調した。「57年ぶりの東京五輪で、若いアスリートに注目が集まっている。召集令状が届き、次のキャリアへ踏み出すことができなかった戦没オリンピアンの存在を記憶にとどめてほしい」と語り掛けた。

(2021年7月4日朝刊掲載)

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