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社説・コラム

天風録 『「原爆民訴」からICJへの道』

 被爆者から手紙や電報が殺到し、配達の人までが「先生よろしく頼みます」と励ます。弁護士冥利(みょうり)に尽きよう。被爆10年にして「原爆裁判」を起こした「先生」は岡本尚一という▲彼は「原爆民訴」と呼んで米国の非道を素手で問おうとした。実際には5人の被爆者が日本政府を訴え、東京地裁は個人の賠償請求は却下したものの、原爆投下は国際法違反だと認める。だが訴状をしたためた岡本は判決を聞かぬまま急死していた▲平岡敬(たかし)記者は被爆20年の取材で判決の意味を腹に落とす。後年、広島市長として、ハーグの国際司法裁判所(ICJ)で核兵器の使用は国際法に反すると断じた▲帰国した市長に、老いた被爆者から「(米国が)原爆を使用したのは広島が第一番でせう」と手紙が届く。原爆が最初に使われた際に禁じる法がないのは当然だろう。拙い文ではあったが、法の建前を理由に踏み込まない日本政府はおかしい―という市民感覚は本質を突いていた▲ICJは1996年に曖昧さを含みながらも広島、長崎両市長の陳述に沿った勧告的意見を出す。それから25年。夜半に起きて被爆者の手紙に涙したという岡本の「義」は伏流水のように、尽きず流れる。

(2021年7月7日朝刊掲載)

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