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「平和の鐘」設計図を発見 旧市民球場跡地近くに立つ洋風ベル 西区の松村さん 広島市に寄贈へ 

製作携わった鋳物職人の遺族

 原爆投下の4年後に1度だけ鳴らされ、現在も旧広島市民球場跡地(広島市中区)近くに立つ「平和の鐘」の設計図が見つかった。被爆体験を経て鐘の製作に携わった鋳物職人の遺族が保管している。広島の復興期を伝える資料。近く市公文書館に寄贈する。(湯浅梨奈)

 B3サイズほどの青焼き図面。高さ約1・4メートル、洋風型ベルの縮尺5分の1で、「設計製作 廣島(ひろしま)銅合金鑄造會(ちゅうぞうかい)」とある。西区の松村伸吉さん(80)が昨秋、自宅倉庫で発見した。広島銅合金鋳造会の会長だった父米吉さんが保管していたとみられる。

 同会が市に鐘を寄贈した当時の浜井信三市長からの感謝状も一緒にあった。「永久にこの鐘が平和の響きを全世界に」と記されているが、実際には1949年の平和祭で鳴らされて以降、50年の式典は朝鮮戦争の影響で中止。51年に開催地が平和記念公園内に移ったため使われなくなった。

 鐘は、焼け跡で拾い集めた金属で製作された。2015年から毎年8月6日に、市民でつくる「響け!平和の鐘実行委員会」が祈念式を開いており、参加者が鳴らしている。

 松村さんは先月、集まった会員に設計図を披露した。鋳物職人として製作の中心役を担った故西本秋男さんの長男、光徳さん(70)=西区=は「おやじが亡くなる前に見せてあげたかった」と感慨深そうに述べた。松村さんは「設計図などが残っているとはこれまで知らなかった。個人で保管するよりも、後世に大切に継承してもらいたい」と話している。

(2021年7月8日朝刊掲載)

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