×

社説・コラム

『潮流』 五輪とは何か

■論説委員 田原直樹

 私らに関係なく、どうぞ好きにやってください―。

 突き放したような言葉だった。この春訪ねた岩手県釜石市で、取材先の男性に東京五輪をどう思うか、問うた際の返答だ。

 復興五輪。「東日本大震災に際しての支援への感謝や被災地の姿を、世界に伝え、理解・共感を深めていただく」というコンセプトを、復興庁は掲げる。

 今、復興五輪らしさはどこにあるだろう。世界へ復興をどう発信するのか。コロナ下、福島や東北を巡る外国人観光客はいるだろうか。行動を制限、管理される出場選手も被災地を訪れるのは難しいはずだ。

 開催の意義は移ろい、ぶれてきた。新型コロナウイルスの感染拡大で1年延期した際、当時の安倍晋三首相は断言した。「完全な形で」「コロナに打ち勝った証しとして」開催すると。さて、現実はどうか。

 安心安全の五輪と繰り返すのみで、対策はワクチン一本やり―。菅義偉首相のもと、緊急事態宣言の中での開催となり、1都3県では無観客と決まった。

 復興五輪の趣旨は薄まりコロナに敗北し、不完全な形で、開幕する。

 菅首相は開催意義を「コロナという困難の中、世界が一つになれる」と強調。イベントや学校行事は中止なのに、なぜ五輪は許されるのか―。そう問われたが的外れな答えを返した。

 無観客開催でも国際オリンピック委員会(IOC)や競技団体、一部のスポンサーの関係者は特別扱い。会場に入れる方向という。商業五輪なのは確かだ。

 IOCのバッハ会長は被爆地・広島を訪問したいらしい。国連の五輪休戦決議に合わせて訪れ、平和を訴えるというがどうだろう。ノーベル平和賞狙いなどと思惑もささやかれる。そのためのパフォーマンスなら願い下げしたい。

 東京五輪とは一体何だろう。わからないでいる。

(2021年7月10日朝刊掲載)

年別アーカイブ