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[ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す] 出土厩舎は「第1中隊」 輜重隊施設 位置関係が判明

石畳に熱線や爆風

 広島市のサッカースタジアム建設予定地の中央公園広場(中区)で見つかった旧陸軍の輸送部隊「中国軍管区輜重(しちょう)兵補充隊」の被爆遺構で、出土した各施設の詳しい内容と被爆の状況が12日、米軍が原爆投下前後に撮影した航空写真との比較で判明した。基礎が残っていた厩舎(きゅうしゃ)4棟は第1中隊などのもので、原爆で全焼した。石畳が見つかった軍馬の水飲み場の存在も確認でき、石畳が熱線、爆風、放射線を直接浴びたのが確実となった。(水川恭輔)

 中国新聞が、元広島大原爆放射線医科学研究所助手の竹崎嘉彦さん(63)=地理学=の協力で、3枚の航空写真を重ねたり、照合したりした。米軍が撮影した2枚は原爆投下前の1945年7月25日と被爆直後の45年8月11日で、中国新聞が撮った現在は今年6月10日となる。建物の名称は「広島輜重兵隊史」(73年刊)掲載の配置図を参照した。

 その結果、発掘現場の東側エリアから出土した2棟の厩舎は、馬による軍需品輸送を任務とした第1中隊のものだった。被爆直後の写真を見ると、いずれも全焼して焼け跡が黒く写る。現在の写真では、厩舎跡の一部には黒ずみが見える。

 約20メートルにわたって石畳が出土した軍馬の水飲み場は、兵隊史では詳しい場所が示されていなかったが、原爆投下前と被爆後の写真で位置を確認できた。白く写る石畳の中心には、上に据え付けられていた水槽とみられる黒い線がうかがえる。

 第1中隊の厩舎の北側で基礎が出土した兵舎は、自動車部隊だった第3中隊のものと分かった。両者の間では水路の遺構が見つかっており、原爆投下前の写真と比べると、ほぼ同じ位置に同一のものに見える黒い線が写っている。

 市は遺構の保存活用の検討で、判断材料の一つに「明らかな被爆の痕跡」を挙げる。今回の判明内容について、市文化振興課は「(市が調査を委託した)市文化財団で今後、確認作業をする」としている。

 輜重隊の兵営は、爆心地から1キロ以内に広がっていた。市民団体や被爆者団体は「軍施設があり、被爆したことを伝えること自体が重要だ」などとして、遺構を一部でも残すよう求めている。市は、被爆時に5キロ以内だった現存する建物86件について、被爆の明らかな痕跡の有無を問わずに「被爆建物」に登録しており、1キロ以内は9件ある。

(2021年7月13日朝刊掲載)

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