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社説・コラム

『潮流』 父の足跡

■周南支局長 中井幹夫

 自分が生まれる前の若かった肉親と過ごし、彼らが歩んだ時代を肌で感じることができたら、さぞ楽しいだろう。そんなことはかなうわけもないと思ってきた。それでも、その願いを実現しようと挑んだ人がいた。現代美術家の笠木絵津子さん(68)である。

 林忠彦賞を受けた笠木さんの写真展「私の知らない母」を5月、周南市美術博物館で見て驚いた。作品の中で母親と「対面」していた。幼児や女学生だった母親の写真に、自身の写真を組み合わせたコラージュ作品が会場の随所に並んだ。

 それぞれに目を凝らすと驚きが増した。近代日本の植民地に生きた日本人の歴史をたどっていたからだ。母親は、大正後期に現在の北朝鮮北部に生まれ、教師だった父親、つまり笠木さんの祖父の転勤で台湾や満州(中国東北部)などを転々とした。ソ連参戦後の大陸で生き延び、日本に引き揚げてきた。

 こうした境遇でも母親の写真が多く残っていたから、作品作りが可能になったのだろう。笠木さんは、母親が過ごした場所に行ける限り足を運び、撮影した写真も展示に盛り込んだ。

 生前、母親を疎ましく感じたという。それではなぜ、母親の過去を追い掛けたのだろうか。戦火の中で生き延び、自分を産んでくれたことへの感謝の気持ちからではなかったか。

 私も、生き方に干渉してきた亡き父親を煙たく感じてきた。昭和初期に広島市近郊の農村で生まれ、戦中戦後に市内で学生時代を過ごした。生前、被爆したとも漏らしていたが、確認はできていない。

 父親も笠木さんの母親と同じ戦争の時代に青春を過ごした世代である。それだけに、どのようにして生きてきたのか知りたい。私は、54歳で病死した父親より長く生きている。足跡をきちんと追いたいとの思いが強まっている。

(2021年7月13日朝刊掲載)

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