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被爆オリンピアン 写真に刻む平和 広島で高田静雄展 競技者の視点 構図に生かす

 広島市に生まれ、戦前は砲丸投げのオリンピック選手、被爆後は写真家として活躍した高田静雄(1909~63年)。広島では初めての本格的な回顧展が、西区の泉美術館で開かれている。オリンピアンの精神を胸にカメラを構えた半生を伝える。(福田彩乃)

 「高田静雄展 平和への道」は、高田の写真作品を軸に、五輪出場時のユニホームや愛用のカメラといった資料を合わせ約100点を展示する。

 高田は20年代の終わりから日本記録を3度更新する活躍ぶりで「砲丸王」と呼ばれ、36年にベルリン五輪に出場。その頃にカメラを手に入れ、現地で五輪を取材していた写真家名取洋之助らに撮影法を学んだ。本展にも現地で撮影した街や五輪選手らの写真が並ぶ。

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 引退後は、後進の選手の育成に力を注ぐ。しかし45年8月6日、爆心地から約680メートルの小町(現中区)で被爆。建物疎開の作業中だった長女を失い、自身も後遺症に苦しむ。床に伏せる時間が増える日々で、希望を見いだしたのがカメラだった。

 若いスポーツ選手を直接指導できない代わりに、選手らの輝きを写真で捉えようと撮影に本腰を入れていく。「スタート」(57年)は、レースの号砲とともに飛び出す陸上選手を背後から切り取った。正面でも横でもなく、あえて後ろから迫った構図が、脚の筋肉の盛り上がりを強調する。

 藤川有咲学芸員は「元競技者の視点が生きている」と指摘。「筋肉の付き方や力の入れ方、身体のしなやかさが伝わる構図を意識していた」とみる。体が躍動する瞬間を捉えることで、その場の緊張感や興奮をも伝える。

 平和記念公園にも度々レンズを向けた。肝臓を病み、腰が曲がって歩くのも困難な中、身近な場所で被写体を探した。特徴的なのは、外国人をモデルに撮影した作品だ。展覧会名でもある「平和への道」(57年)は、代表作の一つ。遠方に原爆ドームを望む原爆慰霊碑前で、ほほ笑む米国人夫婦が足を一歩前に踏み出す。

 戦後十数年。被爆で負った心身の傷は癒えているとは言い難い。しかし、多くの海外選手と交流した高田には「スポーツマンシップが根付いていた」と藤川学芸員。戦争が終わった以上、かつての対戦国も敵ではない。「互いに手を取り、平和な世界へ歩みだしたいという願いがにじんでいる」と語る。

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 まさに「スポーツマン・シップ」と題した作品も残る。競技中に負傷した学生に、他校の生徒らが肩を貸す様子を収めた。この写真が雑誌に掲載される際、高田は「陸上競技に敵はない」と書き添えた。

 その後亡くなったのは前回の東京五輪(64年)の目前だった。高田が観戦を心待ちにした平和の祭典は、時を超え、再び東京で開幕する。

 展示は8月29日まで。月曜休館(9日は開館)。中国新聞社などの主催。(敬称略)

(2021年7月16日朝刊掲載)

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