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バッハ会長 「あの日」に涙 原爆資料館訪問 核廃絶触れず

国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が16日、被爆地広島の訪問を果たした。広島市中区の平和記念公園で、見聞きしたあの日の惨禍に心を震わせ「感情的なインスピレーションを得た」と平和への貢献を誓った。ただ、広島が願う「核兵器の廃絶」への言及はなかった。「バッハ狂騒曲」に対する冷ややかな声はかき消せなかった。(宮野史康、長久豪佑)

 曇り空に覆われ、ぽつりぽつりと雨粒の落ちる平和記念公園。バッハ会長は午後1時半ごろ、原爆資料館本館前で車を降り、中央参道を進んだ。原爆慰霊碑に花輪を手向けると、手を前に組み、こうべを垂れて、1分間近く目を閉じた。

 資料館入り口に向かう途中で、先導した広島県の湯崎英彦知事は、被爆前にあった町の姿を伝えた。「来るだけで厳粛な思いになる。本だけではなく、ここに来てそれを感じるべきだ」と返ってきたという。

 資料館の見学は非公開だった。案内した滝川卓男館長たちによると、動員学徒のボロボロになった衣服や被爆前の子どもたちの写真を食い入るように見つめ、奪われた未来を想像するかのように涙ぐんだ。

 館内では、5月に平和記念公園であった聖火リレーの走者を務めた被爆者の梶矢文昭さん(82)=安佐南区=と対面した。訪問への謝辞と「五輪の成功を祈っている」との声を梶矢さんから受け、肘でタッチを交わした。同席した広島市の小池信之副市長には「スポーツには平和のDNAが組み込まれている。平和なくしてスポーツなし」と語ったという。

 資料館東館1階での10分弱のスピーチでは「平和に五輪運動として貢献する」と強調した一方、核兵器廃絶には触れなかった。記者団が英語で「核兵器の廃絶を支持するか」と2度、問うたが、厳しい表情のまま無言で資料館を出て、平和記念公園を去った。2時間弱の滞在だった。

 梶矢さんは終了後、「バッハ会長は『平和』という言葉を多く使い、大事にしているのがよく分かった。広島訪問を決めたのもその現れだろう」と胸中をおもんぱかった。

 県被団協(坪井直理事長)の箕牧(みまき)智之理事長代行は、平和記念公園への立ち入りを制限するために張り巡らされた柵の外で訪問を見届けた。時間をかけて資料館を見学した点を評価する一方、「広島に来て核兵器廃絶に触れないのは、完全なメッセージとは言えない」と冷静に受け止めた。

(2021年7月17日朝刊掲載)

バッハ会長スピーチ要旨 広島訪問

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