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社説・コラム

『潮流』 シニカルに見る

■報道センター長 吉原圭介

 東京五輪はあす開会式を迎える。いよいよという期待と、新型コロナウイルス感染拡大の不安が交錯する中、夢舞台の聖火台に火がともる。

 振り返ればトラブル続きだった。コロナ禍で初めて1年延期になったことが最大だろうが、新国立競技場の当初設計が白紙になったり、エンブレムのデザインに盗用疑惑が出たり。会員制交流サイト(SNS)などを使った情報発信の結果、大会関係者が何人か辞任に追い込まれた。今も開催に賛否の声がやまない。

 シニカルに見れば、57年ぶりに五輪が行われるこの国にとって、意義はそこにあるのかとも思う。それぞれの立場で自分たちの意思を発する。「それは違うんじゃないの」。そう普通に言えることが民主主義でなかったか。困難の中で開かれる世界大会に、個人が考え、自らの意思で行動していることに光を見る。

 23日の開会式は午後8時スタート。200カ国・地域を超える選手団の行進はコロナの感染防止のため距離をとり、2時間ほどかかると見られている。開催国日本は最後となるため夏休み中とはいえ、子どもは寝ている時間になりそう。

 期間中には被爆76年となる8月6日を迎える。投下時刻の午前8時15分に黙とうを求める声があるが、大会組織委員会は「予定はない」と素っ気ない。国際オリンピック委員会(IOC)会長は被爆地広島を訪れ「感情的なインスピレーションを得た」と話したけれど。いずれも利権を握る米国側に配慮したように見える。

 「オリンピックは参加することに意義がある」。もう100年以上前の言葉だ。勝ち負けではなく、メダルを目指して切磋琢磨(せっさたくま)することが大事ということだろう。いろいろな五輪への思い、接し方があっていい。だが、ただ開くことに意義を見いだしてはいけない。傍観者にはなるまい。

(2021年7月22日朝刊掲載)

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