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1896年製の水道管出土 サカスタ遺構「創設期伝える」 広島市水道局 一部を保存活用

 サッカースタジアム建設予定地の中央公園広場(広島市中区)の発掘調査で見つかった旧陸軍の輸送部隊「中国軍管区輜重(しちょう)兵補充隊(輜重隊)」施設の遺構で、製造年が「1896」と刻印された近代水道管が出土した。明治期から軍都の性格を強めた市では、全国で5番目となる1898年に近代水道が創設された。市水道局は「創設期の歴史を伝える貴重な資料」として、一部を保存活用する。(水川恭輔)

 市水道局は6月、発掘調査を担う市文化振興課から「現地で水道管が出土した」との連絡を受けた。市の委託で調査に当たる市文化財団の職員からは「大変貴重なものだ」との説明を聞き、保存を決めた。今月に入り、出土した水道管の一部(長さ約4・5メートル)を取り外し、中区の基町庁舎に移した。

 市水道局によると、水道管は口径約100ミリで英国のD.Y.スチュワード社の1896年製。製造年は水道工事の着工年で旧陸軍のものと示す「☆」の刻印もあるため、創設期の軍用水道のものと確認できた。

 市の水道整備は、95年11月、明治天皇による勅令が出て進んだ。94年に始まった日清戦争時、市内の大本営で執務していた参謀総長有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王が腸チフスを発症し、死亡した。市内ではコレラや腸チフスなどの伝染病がよく流行し、多くの軍人が集まる軍都として良質な水の確保が喫緊の課題となっており、異例の勅令だった。

 96年5月に国営で軍用水道の工事が始まり、これに接続する市民用の市水道も同時に整備が進んだ。98年8月12日に完成し、同25日に通水式を開催。近代水道の創設は、横浜、函館、長崎、大阪に次いで全国5番目という。

 「広島市水道七十年史」は、輜重隊の前身の輜重兵第五大隊をはじめ、広島城一帯に集まる各部隊の水道施設について、完成時の水質検査の詳細な記録を載せている。水道による軍施設の衛生面の向上をいかに重視していたかが分かる。

 市によると、発掘現場には、同時期に敷設されたとみられる水道管がまだ残っている。市民向けに計画する今月24日の現地説明会で、水道管についても紹介するとしている。

 市水道局は基町庁舎に移した水道管について、「市の水道の歴史を知ってもらうために活用したい」として、1階ロビーで展示している。平日の開庁時間(午前8時半~午後5時15分)に無料で見学できる。将来的な保存、展示場所は今後詰めるという。市水道局企画総務課☎082(511)6808=平日のみ。

(2021年7月22日朝刊掲載)

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