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社説・コラム

天風録 『演出担当、事の重大さ分からず』

 母が晩年「アンネの日記」を読みたいと言い出したことがある。文庫版を送ると、字が小さいと不平たらたら。それでも遺品には傍線が引かれていたように思う▲母の心境は察しがついた。アンネと同い年。15歳で彼女がユダヤ人収容所の露と消えた頃、母は疎開先で苦労していた。ヒット歌謡曲「青春時代」を好み「青春なんかあらへん」が口癖。それだけに、火花のような短い春に、アンネが見いだした生きがいを知りたかったのだろう▲母は今は亡く妄言を聞かずに済んだ。東京五輪開会式の演出統括、小林賢太郎氏が過去のコントでホロコーストを笑いの種にしていたことが分かり、任を解かれた▲不快に思った人にわびを入れるというが、事の重大さが分かっていない。わが国はナチスの同盟国だった歴史に責任を負うと「アンネの日記」の巻末に訳者深町眞理子さんは記す。五輪が「平和の祭典」なら、人間を抑圧する全ての絶対悪に毅然(きぜん)と立ち向かうのが筋だろう。明日の「演出」とやらが気にかかる▲市川崑(こん)総監督の名作「東京オリンピック」は選手団の入場が今なお開幕の感動を伝える。小さな国には、小さな国なりの―。演出のための演出なら要らない。

(2021年7月23日朝刊掲載)

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