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原告ら 政治判断に喜び 「黒い雨」上告断念 「ようやく決着」 悔しさも

 広島への原爆投下後に降った放射性物質を含む「黒い雨」を巡る訴訟は26日、原告側勝訴で「政治決着」した。原爆投下から間もなく76年。「ようやく被爆者と認められた」。原告や支援者に歓喜の輪が広がった。あの日浴びた黒い雨に人生を翻弄(ほんろう)され、救済を訴え続けてきた強い思いは、司法に続いて国を動かした。(松本輝、明知隼二)

 「うれしい。ずっと闘ってきて、やっと報われた」。原告団の高野正明団長(83)=広島市佐伯区=は喜びをかみしめた。

 国が1976年に援護対象区域を指定した2年後、区域外の住民で設立した協議会に参加。以来、国に区域拡大を求める活動を引っ張ってきた。菅義偉首相はこの日、原告以外の黒い雨被害者の救済にも言及した。「被害に苦しんできた全ての人が救われるまで見守り続けたい」

 本毛稔さん(81)=同区湯来町=は上告断念の一報を聞き、自宅の仏壇に手を合わせた。「やったよ」。弟昭雄さん=当時(2)=を原爆投下の1カ月半後に、2004年に母マサコさん=当時(86)=を亡くした。2人は爆心地から約18キロ離れた今の自宅近くで、本毛さんとともに黒い雨を浴びた。

 自宅のわずか約100メートル先を流れる水内川が援護対象区域の境界線となり、自宅はその外にあった。本毛さん自身、原因不明の鼻血や白内障に苦しんだ。「やっといい報告ができた。弟と母は、きっと喜んでくれていると思う」と笑顔を見せた。

 広島県の推計によると、援護対象区域外で雨に遭うなどした人は約1万3千人(原告、死者を除く)に上る。15年11月の広島地裁への提訴から約6年。原告団ではこれまでに19人が亡くなった。「政府はもっと早く決断するべきだった」。弁護団の橋本貴司弁護士は政治決断を歓迎しつつ、悔しさをにじませた。

 被爆者団体も喜びの声を上げた。広島県被団協(坪井直理事長)の箕牧(みまき)智之理事長代行(79)は「国がいたずらに判断を先延ばしして原告を苦しめてきただけに本当に良かった」と歓迎。「広島の戦後処理はこれで終わったわけではない」とも述べ、幅広い原爆被害者の救済を訴え続ける決意を新たにした。

 もう一つの県被団協の佐久間邦彦理事長(76)も原告以外の黒い雨被害者の救済について「県被団協の相談所にも、これから問い合わせがあると思う。国や県、市は手帳交付の検討を速やかに進めてほしい」と求めた。

被爆者援護 転換点に

 広島大の大滝慈(めぐ)名誉教授(統計学)の話
 被爆者援護行政の大転換となる判断だ。原爆による健康被害について、国はこれまで、爆発時に浴びた初期放射線ばかりを重視し、黒い雨などによる内部被曝(ひばく)に真剣に向き合ってこなかった。上告断念により、国は内部被曝による健康影響を考慮し「救済漏れを防ぐ」という視点でも被爆者認定に取り組むよう方針転換することになる。広島だけではなく、長崎原爆の黒い雨などで被爆者と認められていない人についても認定の見直しを迫られるだろう。

審査基準 早急策定を

 広島大の田村和之名誉教授(行政法)の話
 被爆者援護法に基づく被爆者認定の枠組みが広島高裁判決通りになれば、原告だけではなく、黒い雨被害者を救済する道が大きく広がる。判決内容に基づく形で被爆者健康手帳を交付するには、手帳の交付事務を担う広島県と広島市が、新たな審査基準を早急に策定しなければならない。法改正も必要となり、国会も早期対応が求められる。一人でも多くの黒い雨被害者を速やかに救うために、行政も立法もスピード感を持って取り組まなければならない。

(2021年7月27日朝刊掲載)

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