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悲劇伝え 平和の礎に 76年前 柳井で米軍機墜落 目撃者の藤里さん 戦争・原爆 反対訴える

 太平洋戦争末期の1945年7月28日、山口県伊陸(いかち)村(現柳井市伊陸)に米軍のB24爆撃機が墜落した。乗組員9人のうち6人は連行された広島市内で、米軍が投下した原爆の犠牲になった。当時9歳で事故を目撃した地元の藤里克享さん(85)は、記憶を証言し「戦争は人が死ぬだけ。何の得もなく二度としてはいけない」と訴える。(山本祐司)

 墜落現場は山中で、今は木が生い茂る。南西へ約800メートル離れた公会堂前に「平和の碑」が立ち、事故に遭い被爆死した米兵たちの存在を伝える。藤里さんは「米軍機は胴体がちぎれて山に突っ込み、火事になっていた」と思い出す。

 自宅で遊んでいると、ごう音を立て、巨大な機影が頭上を過ぎた。パラシュートで人が飛び降り、機体は旋回して山へ落ちた。連行される米兵捕虜を目にした。初めて見た米国人。東京へ移送され被爆を免れた機長のトーマス・カートライトさんだと後に知った。

 戦争体験が風化する中、藤里さんたち住民は98年、平和の碑を建て記憶の継承を誓った。翌年、被爆死した同僚を慰霊するためカートライトさんが来日し、伊陸へ訪れた。交流した藤里さんは「とても紳士的な人で『サンキュー』の言葉が印象的だった」。

 地元でも当時を語れるのは数人になった。「戦争や原爆の悲惨さを分かってもらうため、この碑を残していかないといけない」と藤里さん。28日は碑に参り、手を合わせる予定だ。

(2021年7月28日朝刊掲載)

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