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社説・コラム

『書評』 あなたがいたところ 中澤晶子著 「無言の証人」語る戦争

 〝広島”はかなり風化してしまっている…。1965年の本紙にそんな一文を見つけた。古い記事をたどっていると、ちょうどこの時期から「被爆の体験の風化」を危ぶむ言葉がしばしば見えるようになる。敗戦から20年。戦後生まれが成人を迎える頃である。

 自分の生まれる前の出来事をわがこととして受け止めるのは難しい。ましてやいまの子ども世代にとって親も生まれていない76年前となれば、なおさらだろう。原爆によったもたらされた痛みや苦しみを語れる人がますます少なくなる中、私たちが風化にあらがう手掛かりはないものか。

 本書がそっと提示するのは「無言の証人」の存在である。広島市内に残る被爆建物や遺構を舞台に、修学旅行生たちが織りなす四つの物語がつづられている。

 「広島壊滅」の第一報を伝えた中国軍管区司令部跡(旧防空作戦室)や被爆後は臨時救護所にもなった旧陸軍被服支廠(ししょう)…。生徒たちは、もうこの世にいない「あなた」がいた場所に立ち、残された手記や「伝承者」を頼りに被爆体験に迫る。自分と分断された過去ではなく、地続きの問題として五感で受け止めていく。

 「陰の主人公」は、かつて修学旅行生として同じ場所を訪れた経験のある引率教員たちだ。中学生の時と、大人のいま、その目に映る被爆地は違っている。ある教員は生々しさが薄らいだ被爆建物に戸惑う。ある教員は昔、真面目に話を聞かずに怒らせてしまった被爆者への「ごめんなさい」を胸にヒロシマを見つめ直す。歳月を重ねた「いま」だからこそできる継承があると気付かされる。

 昨年刊行された「ワタシゴト」の続編にあたる。子どもたちが原爆資料館の遺品から被爆の実情に迫った前作に対し、本作は戦争に加担した軍都の歴史も含めた記憶に切り込む。

 巻末には舞台となった建物の解説や地図も付く。「場」の記憶を未来につなごうとの著者の志がにじんでいる。(森田裕美・論説委員)

汐文社・1540円

(2021年8月1日朝刊掲載)

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