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歌謡ひろしま 時を超え 古関メロディーと平和願う歌詞 46年発表の名曲 初CD化や合唱団披露

 原爆投下の翌年、広島の復興を願って生まれた歌「歌謡ひろしま」。忘れられていた幻の名曲が、人々の間で再び歌われ始めている。昭和を代表する作曲家古関裕而(こせき・ゆうじ)さん(1909~89年)の作ったメロディーと、広島の風景に平和への思いを重ねた歌詞が、時代を超えて人々の心を捉える。(西村文)

 「〽花の比治山春あけて 未(いま)もかはらぬ江波二葉」。「歌謡ひろしま」の詩情豊かなハーモニーが、聴衆を引きつけた。4月下旬、広島市南区のJR広島駅南口地下広場。広島市の職員や教員たちでつくる広島市役所合唱団が披露した。

 合唱団は、コロナ下の活動休止から再始動した2月以降、新たなレパートリーとして「歌謡ひろしま」の練習を重ねていた。「幾つかのコーラスグループから『歌ってみたい』と問い合わせがあった」。中心メンバーの竹本輝男さん(75)=南区=は顔をほころばせる。

 「歌謡ひろしま」は1946年6月、中国新聞社が「原子弾戦災一周年事業」の一つとして歌詞を公募し、古関さんに作曲を依頼した。市内の歌人山本紀代子さん(61年死去)の歌詞が500点を超す応募から選ばれ、46年8月9日付紙面で楽譜とともに発表された。当時は市民が合唱に励んだが、レコード化されなかったこともあって次第に歌われなくなった。

 昨年、被爆75年の節目にシャンソン歌手佐々木秀実さん(41)が初CD化。古関さんが専属作曲家だった日本コロムビアからリリースした。CDを聞いた竹本さんは「ゆったりとしたテンポと、時代の雰囲気を漂わせる歌声に魅了された」と語る。

 「声域が広いので、アマチュアは一人で歌うより合唱の方が向いている」と竹本さん。コロナの影響で昨年から延期となっている結成80周年記念コンサートがこの先実現した時に、再び披露したいと考えている。「名曲がこのまま埋もれてはもったいない。ぜひ歌い継ぎたい」

 また被爆2世のジャズシンガー川本睦子さん(40)=安佐南区=は、6月に「歌謡ひろしま」など3曲の歌唱動画を収録した。原爆の日の8月6日、インターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」で公開する。

 75年前、中国新聞に掲載された楽譜には「明るく 軽快に」と書かれていた。「日本全体が沈んでいる中、歌で必死に人々を勇気づけようとしていたのだろう。当時の時代背景を考えさせられた」と川本さん。収録に当たっては、現代的な感覚に合うよう、しっとりとした歌い方を選んだ。「若い世代にも親しんでもらいたい」と願う。

復興の街を思いながら シャンソン歌手・佐々木秀実さん

 「歌謡ひろしま」を初CD化したシャンソン歌手の佐々木秀実さん。レコーディングに至った経緯と、歌に込めた思いを聞いた。(西村文)

 「古関先生の広島の歌を歌ってみないか」と日本コロムビアから提案されたのは昨春。「歌謡ひろしま」の楽譜と歌詞を見て、「どう自分の中に落とし込めばいいのか」としばらく悩んだ。

 古関先生の自伝や、戦争・原爆についての資料を読み込んだ。当時東京で活動していた古関先生が、広島からの作曲依頼に応じたのはなぜか。自作の戦時歌謡に送られ戦地へ向かった兵士への鎮魂もあったのではと思い至った。

 最終的に歌う決心がついたのは、原爆資料館にある音源テープがきっかけ。この歌を覚えていた広島出身の女性が近年になって吹き込んだ。公園のベンチに腰掛け、日だまりの中で歌うような雰囲気があった。「あ、こういうアレンジにしよう」と思い立った。

 この歌の素晴らしさは、古関メロディーだけではなく、歌詞の力も大きい。「花の比治山春あけて」「増えるいらかの軒あひに」…移りゆく季節の描写に復興していく街の様子が目に浮かぶ。歌詞に込められた悲しみや喜びを感じながら歌った。

 「歌謡ひろしま」は忘れてはいけない広島の歴史の一つだと思う。まるでタイムマシンに乗って私の前に現れてくれたこの歌を大事にしたい。そして広島の皆さんに歌っていただきたい。コロナ禍を乗り越え、皆さんと合唱できる日を夢見ている。

 ささき・ひでみ 長野県出身。17歳で日本シャンソンコンクール東京大会に最年少入賞。フランス留学を経て、2002年、阿久悠作詞「懺悔(ざんげ)」でメジャーデビュー。昨年8月、「歌謡ひろしま」を収録したアルバム「シャンソン・ベスト」を発売。

(2021年8月3日朝刊掲載)

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