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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] ヒロシマを伝える 語られぬ記憶 表現で「いま」に 写真家 藤井ヨシカツさん

 広島市佐伯区に拠点を置く写真家、藤井ヨシカツさん(41)は手づくりの写真集を通じて戦争の記憶を伝える活動を続けている。近年は大久野島(竹原市)での毒ガス製造に携わった人たちの体験や、祖母の被爆体験を題材に制作してきた。その写真集には、古い写真を用いた抽象的な画像や手記などもとじられ、ヒロシマを体感できる仕掛け絵本のようだ。制作にどんな意味を込めているのかを聞いた。(論説委員・森田裕美、写真・大川万優)

  ―現在、広島市で開催中の個展は「写真集展」なのですね。
 私が取り組む調査プロジェクト「ヒロシマ・グラフ」シリーズから、手製の写真集を展示しています。かつて毒ガス製造工場があった大久野島を題材とした作品と、祖母の被爆体験を基にした作品を紹介し、加害と被害の両面から戦争の歴史を考察する内容です。制作過程が分かるダミーブック(見本)を展示し、インスタレーション(空間構成)で表現しています。

  ―なぜ戦争の記憶を題材に。
 高校生まで広島で育ち、当たり前のように平和教育を受けて8月6日の朝には黙とうしてきました。でも学生生活を送った東京では、周囲の人たちにとってその日は何でもない一日。違和感を覚え、いつか原爆について作品にして発信したいと思うようになりました。

  ―すぐ始めたのですか。
 2006年に写真制作を始めたのですが、離婚した両親を題材にした写真集が海外で評価され、しばらく発表の舞台は海外が中心になっていました。しかし原爆をテーマに取り組みたい思いが強く、15年に拠点を古里に移しました。ところが帰った広島では、今度は原爆のことばかり語られている気がして。被爆体験を語り継ぐことはもちろん大切ですが、軍都広島の加害の側面にも目を向ける必要があるのではと思いました。

  ―それで大久野島に通うようになったのですね。
 何をすべきか自問自答している時、県内にある大久野島を思い出しました。「毒ガスの島」については古くから多くの写真集や本がありますが、私は戦後70年以上たった現在の視点から歴史を伝えたいと思いました。

 ただ現状を撮影しただけでは時間の経過は写らない。毒ガス製造に従事した人たちの話を聞き、古い写真や記録文書といった資料も使ってまとめる方法を考えました。それが手製の写真集です。丸3年かかりました。

  ―同時に被爆体験についても調べ始めたのですね。
 広島に帰ってから、被爆者の体験を聞くイベントなどにも足を運びましたが、時間が限られていると、8月6日に何があったかを証言するだけで終わってしまいがちです。そうではなく、被爆者がその前後の人生をどう生き、私たちの世代にどうつながっているか知りたかった。よく考えると、それは世代をつなぐ家族の物語でもあると気付きました。93歳の祖母に被爆体験を聞くことにしました。

  ―それまで聞いていなかったのですか。
 祖母が被爆者だとは知っていましたが、あえて聞いていませんでした。あらためて聞くと、「孫のためなら」と話してくれましたが、最初は被爆時の状況などエピソードが限られていました。それでもしつこくやりとりするうち、思い出して語ることも増え、祖母の被爆体験が点から線になりました。

  ―どんなふうにですか。
 祖母は当時、現在の西区にある三菱の工場で働いていましたが、その日に限って体調を崩し、爆心地から1キロ余りの自宅にいました。爆風で割れたガラスでけがをしましたが、2階にいたため倒壊した家の下敷きにならず助かったそうです。当日のことだけでなく前後を少しずつ聞き出すうち、いろいろな奇跡の中で祖母は生き残り、私の命につながったのだと受け止められるようになったのです。

  ―ヒロシマがわがことにできたということですか。
 惨状だけ聞いても、自分との接点はなかなか見つけにくい。遠い過去の出来事を今に引きつけるには想像力が要ります。アートはそれを補完する役割を果たせるのではと考えるようになりました。

  ―写真集を手に取ると、おばあさんの記憶を追体験できそうです。
 手に取って見て読んで五感で感じてもらいたいです。そのために、印刷する用紙の一枚一枚から自分で選びます。表紙に使ったヤスリ紙は、完全には治らない被爆者の傷をイメージし、布地部分は被爆した時に祖母が着ていた木綿のワンピースから着想しました。

 手作りなので部数は限られますが、相手にきちんと届けることを意識しています。

  ―プロジェクトの今後は。
 戦後76年たってなお語られない、一個人の記憶はたくさんあると思います。私の祖母だって、もし私が聞かなかったら、語らないまま亡くなっていたかもしれない。そんな埋もれた記憶に目を向け、伝え続けます。

■取材を終えて

 過去の事実や経験は、聞く側が働きかけ、意味を与えていってこそ、永らえることができる―。歴史社会学者の小熊英二さんの言葉を思い出した。ネットでのコピーや拡散が当たり前の時代に、時間をかけて戦争体験者の声を聞き、写真集で表現する藤井さんの活動もまた、記憶を永らえさせる手だての一つに違いない。

ふじい・よしかつ
 広島市佐伯区出身。東京造形大卒。映像制作会社などを経て06年から写真制作。歴史や記憶をテーマに欧米やアジアのフォトフェスティバルに出展。離婚した両親との関係をテーマにした手製の写真集「Red String」は14年、パリフォト・アパチャー財団写真集賞ノミネート、米タイム誌「ベスト写真集」。「写真集展 ヒロシマ・グラフ」は9日まで広島市中区のハチドリ舎で開催中。

(2021年8月4日朝刊掲載)

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