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命の限り戦争詠む 92歳三十一文字 廿日市の田中さん 3作目の短歌集出版 

病と闘い創作「若い人に伝えたい」

 自らの戦争・被爆体験や日々の暮らしを短歌に詠んでいる92歳の田中祐子(さちこ)さん(廿日市市地御前)が「命の雫(しずく)」を幻冬舎から出版した。自費出版を経て同社から刊行するのは、90歳と91歳の時に続く3冊目。度重なる病と闘いながら、「生かされている限り、平和を伝えるため詠み続ける」と思いを込める。(湯浅梨奈)

 収録した計518首の中に、田中さんが戦争体験などを詠んだのは40首。安田高等女学校(現安田女子中高)から学徒動員で兵器工場に派遣された。「学校に行く事はなく工場で飛行機のエンジン作り続けし」

 4年生だった16歳の時、爆心地から1・8キロの平野町(現中区)の自宅で被爆した。気付けば家の下敷きになっていた。がれきから頭を出して叫び、火の手が回る寸前で、見知らぬ男性に助け出された。

 しかし、近所に住むいとこで仲良しの信子さんは死亡。庭で亡きがらを焼いた。「ぶっ潰(つぶ)され壊され焼けて人等皆死にたりただ一発で」。原爆への怒りがにじむ一首だ。

 短歌を始めたのは千田尋常高等小学校(現千田小)4年の時だった。書きためたノートは全て原爆で焼失。小学校の教員を務めたり、学習塾を経営したり忙しくしていたが、時間に余裕ができた60代ごろから再開した。三十一(みそひと)文字をつづったノートは数十冊に及ぶ。

 70歳を迎える頃、パーキンソン病で左半身が動かなくなり、体力がみるみる衰えた。自分の生きた証しは何だろう―。考えた続けた末に、87歳で短歌集を自作した。さらに、「全国の人に届けたい」と思い切って出版社に持ち込んだのが歌人としての転機となった。

 3年前には乳がんで左胸を切除した。「原爆で一度死にかけた身。怖くない」。それでも「『一生は一夢』と言えど九十一才やり残せしことまだまだありぬ」。歩行器を押しての毎朝2時間の散歩と、週4日のトレーニングを欠かさない。

 「若い人に伝えたいことがたくさん。まだ死ぬわけにはいかないのです」と田中さん。「核兵器が使われることが、二度とあってはならない。戦争はしてはいけないことだと思ってほしい」と力を込める。短歌集は四六判、156ページ。1430円。

(2021年8月4日朝刊掲載)

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